きょうから二月
きょうから二月に入りました。気分一新でいきましょう。国会中継をラジオで聞いてましたが、聞けば聞くほど、確信持って言えることは、こりゃダメだで、これから混乱してくるな、、、ということ。しかし面白いように、混乱する人と、まったく動じない人とに別れていくでしょう。実力以上のものをずるさや機構で維持している人は、どうしても混乱しやすくなる。等身大の自分に戻ることがとにかく大切。イメージ上の自分に酔っている人は、これから現実を突き付けられてくる。私も生身の自分自身に身を置き、リアリティの中で生きて行くことを今年から実践。これまでもそのつもりでやってきているが、さらに厳しく実行しようと思う。そう考えたら、不思議に乱視の目がよく見えるようになってきた。人間の体は本当に不思議なものである。人の意識に従うのだ。運勢も同様だろう。良いことを思えば良いことが起こる、、、的な考えもあるが、大体は裏目に出る。良く思おうとする動機におびえと不安があるためだ。そちらの方が本当の動機なので、運命は本物の動機のほうを取り上げてしまう。なぜそんな皮肉が起きるようになるかは、簡単で、自分を自分で罰することで自分を解放させる高度の心理メカニズムが働くためである。
私は彼から捨てられない、、、捨てられない、、、と念じてはだからいけないことになる。今はこれほど愛し合う二人だが、何かのきっかけや運命によって、あるいは別れなければならないこともあるのかもしれぬが、それでもなを、永遠にあの人を愛し続けると、私は願わずにはいられない、、、という考えと態度。これが神に受け入れられるものではないか。なぜなら、どのような事実を認め、それでもなを永遠の愛を願う人間の美しさがにじみ出ている。本当に美しいではないか。ただ単に、金持ちになる、、、絶対になる、、、捨てられない、、愛される、、一生愛される、、、、願うのは自由だが、そんなものではないだろう。人間の中には、神の品格が実際に宿っている。誰にもそれはある。早くそれに気付き、そこを大切に育てた方が得である。本当の損得と目先の損得は異なる。誰もが自分が神の子であることを忘れやすい。大きな損失なのだ。