ファイナル援助

アメリカではこれから大規模な金融緩和策が実行されるとか。大きな形ではこれで第三回目。三度目の正直ではないが、これはどうやらファイナル援助になるでしょう。デリヴァティブでの失敗をもう一度デリヴァティブで取り戻そうとする根性はすごいけど、今回で最後でしょうね。通貨の信用もこれ以上持つわけがないという臨界点に達している。今回の金融緩和は金持ちへの逃げ場与えという最終段階の匂いがします。日本もこれにならえで、日銀が不良債権の購入に走るとか。ここまで民衆無視の政策がよくできると思うが、本当に国というのは、一部の勢力のためだけに存在しているということが、こうした混乱期になると露骨に見えてくる。なんとなくブログが書きたくなくなっているのも、もはや現実を暴露しても、わかる人はすでにわかっているし、マスコミは嘘を書き続けるしで、まあ、好きなようにやられている。しかし、こんな調子ではやはり来ますね。大不況とおそらく食糧難が。その時やっとわかるのでしょうが、その時には、責任をとるはずの政府すらどうなっているかわかったものではないし、多くの良心的な発言をする人などは、危険人物として殺されちゃってるかもしれないし、まあ、あまり期待は抱けません。とはいえ、それでもなを、私は良い時代に向かっているという考えを持っている。無理は極度に行くとそれほど続けられるものではない。強制収容所国家だったソ連もやり続けることはできなかった。ナチスも、独裁才力はだいたい同じ運命。人類は大きく言うと、この3000年くらいは有に騙されてきていると思う。騙しと搾取の時代が続き、その最終段階が始まろうとしているわけで、ピークを打ったものは意外に早く滅びます。というわけで、これからは必ず、素晴らしい世の中が訪れる。素晴らしい世の中とは、現実に立脚した喜びの文化や生き方を持って人が暮らす時代ということ。これまでは宣伝といつかきっと、、という現実否定の夢的なもので人類を騙してきたやり方。現実に立脚していないので、真理も目的も評価もすぐに変わってしまう。マスメディアが人々の意識を戦略的につくり、人々は自信の生き方を持てない。奴隷制としては非常にうまく機能しました。経済が人間支配のベースにあったので、人は企業と結婚し、家庭は崩壊傾向。気がゆるむ40代ころ、社員教育では、「君は何のために仕事をするか」と詰問される。「会社や社会の発展など、、」というと、大声で怒鳴られる「うそだ、それは。君は自分や家族の幸福のために仕事してるに決まってるだろ」と、論破される。そう言われれば、確かにそうかな、、、と思えるので、「そうですね」となる。しかし退職するころになると冷静に物事も見えてくる。「おれはあの時、だまされてたな、、、」と。会社のためといえば、死ぬほどの奉仕はできまいが、自分のためだと思わせておけば、なんだって会社のためにやる、、、と、そのためのマインドコントロールだったのだと気づく。まあ、現代をよく物語っていると思う。とにかく今回の金融緩和はファイナルだと思うので、ババを誰かにゆずる、ファイナルの購入者を探すための緩和でしょう。