天皇賞他
何事もなく今週は過ぎたが、台風や地震、火山噴火など、地球の異変のスタートになったかもしれない。この冬はどうやら寒いようなので、その点は用心するつもり。夏は暑く、冬は寒い。地球の温度管理のシステムが破壊されているらしい。仕事もきつい、収入は少ない、環境は悪化、食糧も不安、、よくもこんなに悪くしてくれたものである。それがもし、わざとされていたとしたら、誰もが怒りだすだろう。しかし知っている人は意外に多いものだ。たとえば、ビキニの水爆実験で放射能を浴びた軍人は、あれはどういうことだったのか、、、アメリカがアメリカ人を利用して実験をするとはどういうことなのか、、、そうした不思議に出会うと、段々とこの世界はどうなっているのかの疑問が出てくるだろう。発明家もそうだったと思う。これで人類のためになることは間違いない、、、そう思った矢先、そうした発明は陽の目を見なくなる、、、なぜ、と最初は思うだろうが、段々とそのことがわかってくる。太陽発電など、一見夢の技術に見えるが、どうしてもまだ高い。なぜだろう、、。それは政府が援助しているからだ。政府はそうした太陽熱利用をすすめるためにお金を出す、、と言う。そして確かに出してくれる。これはどういうことかわかるだろうか。そう、安くしないためではないかの疑念が出てもおかしくない。言葉の上では、すすめる、、、と言い、実際にお金も出す。結果的に高価なパネルという構造は変わらずに維持される。なので、夢の技術になり得ない。もっとほったらかしにして、自由競争をさせるとどうなるか。一枚数万円するパネルがあっという間に数百円になる。となるとエネルギーはタダに近くなってしまう。なんとしてもそうなっては困るところがあるのだろう。そうやって、夢の技術は隠されてくる。それに直面する人は段々とわかってくる。なんだ、この世は、本当に人類や人間のために運営されているのではないのだな、、、と。医学などでも、素晴らしい発明や発見はおそらくあっただろう。これで人類の寿命は20年は長くなる、、、と思ったのも矢先、どうしても火の目を見ない。しつこく食い下がると左遷されてしまう。マッカーサーでさえそうだった。なんで、ここで勝てるのに、、、と思った矢先、役職を下ろされる。彼は頭がいいので、すべてを理解して、黙って去っていく。老兵は死なず、ただ消え去るのみ、、と、ある意味、謎の言葉を残している。麻は夢の素材である。それも大麻法によって規制され、エネルギー源としての利用の可能性を見事にシャットダウンされた。世の中はそんなことばかりである。なぜ、こんなことを言うのかと言うと、もうそうしたことを知らないと、本当に生き残れない時代が近づいている面があるからである。日本ではまだ分からないが、アメリカはそうである。貧乏人が自然に流れていく方向には、多くの死が待ち受けている。貧乏人はカロリーの高い安い食べ物にどうしても行きつく、、、保険がないのでどんな治療になっていくのか、、住む場所にもどんな電波が流されているかわかったものではない、、、学校に行けば、貧しい学生に軍隊から誘いが来る、、それは日本と違って非常に危険なものである場合が多い、、アメリカは貧乏徴兵制になっているとどなたかが言っていたが、その通りになっている。一般大衆すらも危なくなっている。本物の金持ちとは、住む場所も食べるものも、病気の際の治療もすべてが違う。オバマの娘がインフルエンザワクチンを打たなかったのは、当然のことだろう。
日本ではどうか。アメリカほどではないが、ただ実験としてはアメリカ以上の使われ方をしている。世界中で使われなくなった有害なトランス脂肪酸が日本では許されている。おそらく世界の在庫がなくなった時点で日本でも禁止されるのだろう。こうしたケースが多い。こうしたことを言うと、非常にうがった見方をしているとお取りになる方も多いと思うが、私は思想的にでも何かを売るためでもなく、事実を言っているだけ。要するにマスコミなど信用していると、殺されるよ、と、そういう時代に入ったと思う。マスコミはタダで色々なことを教えてくれる。タダで教えてくれるということは、誰か、お金をくれる人のために放送しているということである。決して一般民衆のためではなく、その情報を流し、それを信じてくれる人がいると好都合な人のために流されていることになる。こうした方向を探っていくと、非常に高度な戦略が浮かび上がる。それは、現代人から魂の喜びを奪い取る、、、ということに目標が置かれている。魂の喜びがなくなれば、上の言うことをおとなしく聞く民衆がつくれる。そうしなければ、強制収容所化は無理である。スターリン時代や毛沢東時代など、実際に私たちの地球には、強制収容所国家が実在したのである。それも実験国家としてつくられたのかもしれない。スターリンよ、お前に国をあげるよ、、おもちゃにしてもいいよ。色々やってごらん、、、と、その程度のことだったのではないか。ユングは正しく、この世は悪魔が動かしている、、、と言ったが、魂の喜びを奪うやり方は、まさにその通りだろう。学校教育でも、必ず、魂の喜びに触れるものは、最終的に排除されていく。命がけで教育し、魂の触れ合いに成功した先生は、必ず、学校から悪く言われ、さげすまれる、、、それは周辺の嫉妬をうまく利用して行われるのだろうが、結果としてそうなっていく。学校でさえそれなら、会社では魂なんてものは土台関係ない話しとなる。魂、、が泣いてる、、、などと言えば、お前は馬鹿か、うつ病のようだ、、と判断されて猿のような上司や会社の餌食にされる。上からこれがいい、これが正しいと言って与えられるものは、すべてがコピー文化でしかない。コピー的なものを食べ、コピー的な発案から仕事の戦略が作られ、コピーの店が町に並び、田舎もコピー化されて、どの町に行っても同じように見える街道筋。そこにはフランチャイズの店が並び、同じような価値観で同じような貧しさが並ぶが、いつしかそのことにさえ疑問を抱かなくなる。コピーの笑顔、コピーのサービス。魂の叫びを芸術に求めても、あの手この手でそうしたものより、コピー的なもののぶしつけな存在感が優位に立つ。家に帰れば、パソコン、DVD、携帯。私などパソコンなくては仕事にならないが、まさにそこにどっぷりつかってしまう構造。自然の音、人間の触れ合いなどは、魂に刺激を与えるので、これらを巧みに避けるようにして今の文明は発展してきた。多少はあった、会社同僚との付き合いも、会社の勢力範囲の中での自由に、いつしかおとしめられ、魂の喜びや再生の喜びには程遠いものとなっている。管理化された生活。と言ってしまえばそれまでだが、まあ、本当にうまく行っている。考えてほしいのは、こうした流れの延長線上に一体、何が見えてくるのか、、、ということだ。それは死なのではないか。この文明の方向が、本当に人類の安寧と福祉と喜びに向かっていると、あなたは本気で思えるか。ここをごまかさずに自分の生き方、立脚点を持ちたい、そのためには、人とも交わりたい、というのが私の考えであり、方向性だ。その点に従って、これからの活動を考えたいと思っている。そして重要なのは、今は、文明を一方的に悪くいったが、それはよくない。良い面ももちろんある。ただ、文明を自分が利用できる、というこちらが主人になれればの話しであると思う。自分があくまで主人であれば、どんな時代が来ても怖くないし、悪く言っても始まらないと思う。悪く言うだけは簡単だ。しかしそれではダメ。この悪魔のような時代背景とどう付き合い、それにのまれずにお互いによいものをつくれるかどうか。私はそれは可能だと思っている。なぜなら、魂を奪うことに成功した文明も、魂の喜びに実は依存しなければ生きていくことはできない。発展することはできない。命を失ったコンビニ群に、もしも命の輝きのほとばしる小売ができたとしたらあっと言うまに凌駕されてしまう。しかし、今あるコンビニ群をただ意味ないものとして葬るやり方は、間違っている。コンビニ自身が新たに物を売るために変化することもできる。命の喜びに直結した店に転化することはできると思う。そうしなければ、物も売れない、そういう時代が来ているからである。悪も悪であるだけでは、もうごちそうがもらえない時代が近づいているからだ。一方、あれはダメ、これはダメと、単に理想のみを言い続けるのは、あまりに力がない。すでにあるコンビニ群を使い、その上に命を輝かせる、、、というやり方でないと、何も実現しない。その点、良心的なものは弱い。私は道路をつくる土建屋行政を悪く言う前に、不要なアスファルトをもういちど掘り返し、美しい自然を取り戻すために土建政策を進めるのがよいと思っている。官僚の悪口を言う前に、良い日本を作るために官僚に働いてもらうことを考えるべきだと思う。すでにあるものを壊して何か作ろうとしても、地球はもう破壊に耐えられないところに来ている。それには悪を悪く言わずにその意識を変えてもらい、強い力で働いてもらうしかない。文化の時代とは、悪に誠が入りこみ、悪の強い力がこれまでのベクトルと異なる方向に動きだすことだと思う。そのカギは色々あるとは思うが、やはり歌にあると思う。歌による悪い人と良い人の融和。そこから生じる動き。それぞれがお役であり、やっていくしかない。天皇賞とはまったく関係ない文面になってしまいました。天皇賞はおとなしく、ブエナビスタとシンゲンでいきます。