それぞれのお役

昨日は雑誌ミスティの取材の座談会が松村氏のオフィスであった。写真は松村先生と森村先生。好評だった「母殺し」「父探し」の続編の内容を何にするかの座談会だったが、それぞれが勝手にしゃべったので、本当にまとまるのか心配だが、読者の意見を聞いて決めるとか。母、父、と来たので今度は兄弟姉妹か、、、とも思ったが、色々なテーマが出てきて面白かった。打ち合わせが終えた後は、森村先生とご担当の方と3人で明治記念館のビヤガーデンに行ってきました。毎年、一度は行くが、今年はシーズントップだったので新鮮な気分でした。森村先生、Yさん、ありがとうございました。サッカーはどうせ負けるでしょう、、と思って寝てしまったら、3-1で勝っていたのでびっくり。木星と天王星が合になってからというものの、なんとなく日本が立場が上昇気味に感じる。科学技術面、スポーツ面、そして経済面でも今年後半はやや上向く気配があるかも。世界金融危機のおり、どこか一カ国でもいいから、世界の浮き袋国をつくらなければいけない。それが実は日本という、うがった見方。ほんとかどうかはわからないが、単なる直観。だから日本を丸つぶしするわけにはいかなくなり、突然持ち上げる方向へ。昨日のサッカーに関した世界のコメントでも、文句なしに日本を持ち上げており、これまでにあまりない傾向を感じます。とはいえ、世界各国が日本の浮き袋に捕まるつもりでしょうから、日本の金は構造的に世界に流れる絵は作られたということ。生かさず殺さずでしょうか。まあ、少なくとも他の国と異なり、命の危険は低くなるのでまあいいか。結局、日本国内では多くの淘汰が進み、リストラにもあわず、借金の重みにもどうにか道を見つけ、体も心もとりあえず壊さず、家庭崩壊を寸前でとどめ、鬱や精神障害からもどうにか自分を守った、、、、という人たち、すなわち、どうにか残った人たちによって浮上していく絵が始まるのでしょう。いま、とりあえず破産もせずに生き残った人は、これからはしばらくは大丈夫でしょう。逆になんらかの破綻に遭遇した人は、これとはまた異なる新しい生き方を見出すことで新スタートをきっていくことでしょう。ここらへんで一度仕切り直しが終わるのだと思います。ただしそれもそんなに長く続く安定ではないと思いますが、とりあえずは、、の絵だと思いますが、参議院選挙の行方などで変更はあるかもしれませんが。日本を浮き袋として残しておいて世界は大再編に入ることになるのでしょう。万が一そうなったとしたら、世界では激変が相次ぐでしょうから、日本は色々な形で世界を助けてあげればいいと思う。石油流失の危機、天変地異の救助、金銭面はすでに絵ができたと思いますが。そのほかの面で、海外に争いが起これば、超党派で救いの手を述べられる立場にこれから立てるようになっていくはず。日本の技術で、日本人の人間性で、その魂で、世界の人々を感動させ、その意識を変える、、、という段階が始まっていくことになるでしょう、とやや希望的観測で述べてます。
 人間の一生というのは、誰もが大体は極めて純真で無垢な状態で始まり、色々な欲求や思惑、とくに恋愛などを通して、本当の欲求とその結末を迎える段階に入り、それによって、誰もが多かれ少なかれ傷ついていく。悪は何もしらない善良な人や魂を傷つけることでエネルギーを得ているので、善良で無垢な人や魂が傷ついていく運命は構造的に仕方ない。傷ついた人たちは、自己防衛に走ったり、自己弁護したり、外界を閉ざしたり、時間をとめたり、色々なやりくりをして傷に対処するが、傷つきながらも無垢な魂を維持し、苦しいながらも生きてまっすぐに生きていこうとする人々をも生み出す。大多数は多少傷つきながらもそれでもなを、魂の純粋性を維持し、馬鹿をみながらもまっすぐに生きていこうとする人だと思う。ただし、自分の守り方は上手になるので、極めて用心深くなるだろうが。そしてそういう人にもさらに悪の力がおよび、どんなに頑張っても、努力しても、誠意をつくしても、それでも裏切られ、さげすまされ、恥をかかされ、捨てられるようなことに遭遇すると、心の奥底からの怒りや絶望と同時に、一種純粋な悟りのような状態に至るケースがある。自分の幸福をあきらめるかわりに他の存在に対するどうにもならないいとおしさが生じ、あらゆる運命を享受する心境に至る。その時、人は、自分への本当の誇り、生きる意味、存在の純粋な喜びを感じるわけだが、なんとそれは悪の働きがあってこそであり、悪がなければ、人生の意味も深くはならず、大きな運命の不幸がなければ、明日は炉の中に入れられるかもしれない道端の花に、共通する生命の喜びを抱くこともない。悪こそが人間存在の生命の本当の姿にふれさせてくれる触媒となっている。悪がなければ喜びもうつろとなり悟りもない。悪の働きも正しく神の働きとも言える、そうした構造の中で私たちは生きている。だから人生の最大の不幸、最大の裏切り、最大の絶望で負けそうな時は、それは神がくれたものだと思うに限る。その裏には、本物の自立、本物の人生、本当の感動が待っている。だから私たちは何も恐れる必要はない。目の前に爆弾が落ちても、愛するものをかばいながらただ必死に逃げればいい。上空の敵機の飛行士がガムを噛みながら笑顔で爆弾を落とせば落とすほど、私たちの生命の輝きは増していくのだ。かばい合う愛のありがたさは増していくのだ。悪が大きければ大きいほど、私たちの命を輝かせてくれる。凄い仕組みじゃないか。誰が自分の悲劇につばを吐くことなどできよう。天の星は巨大な闇を背にして光り続ける。闇は星に無限のエネルギーを与えているのかもしれない。悪に、巨大な闇に取り囲まれた私たちの時代は、もしかしたら幸多き構造なのかもしれない。