大事なことはニュースにならない
先週の金曜日に行われた大阪なにわにおいての歌会は無事終了した。250名の方々がいらしてくださり、このhpからも多くの方がいらしてくださったようで、ありがとうございました。歌会が成功した際は、帰りのお客様の表情ですぐにわかる。湯たんぽを抱えたような、もしくはお風呂から出た時のような感じになっている。高周波と倍音の洗濯を全身に浴び、気もちがよくなるためである。今回も皆さま喜ばれたようで本当に良かった。元大臣が3人も来ていたようだが、終わってみれば、誰も彼も何も変わらないという一体感が歌会にはある。歌会は日本文化の中心にあるものだが、そうした大切なものが今では行われることはない。これを何としても広めたい。政治や戦争やイデオロギーでは何も変えられない。人の意識を変えるのは美や芸術や歌なのだ。第五首はなにわと縁が深い、豊臣秀吉の辞世の歌、露とおち露と消えにしわが身かななにわのことも夢のまた夢、、の歌あたりから、集う人たちの意識が全体の中にひとつの命のようにしてまとまりだした、、場所も大阪城のすぐそばである。冬の陣、夏の陣で幾多のつわものたちが死んでいった、まさにその場所だったので、おそらく色々な英霊が聞きに来て、慰められた帰っていったことだろう。主宰者も大変喜ばれた。これまで何十回となく色々な回をご主催された方だが、歌会の後で主宰者の前に名刺を渡そうとされる方が長い列を作られたという。そういうことは初めてだったとおっしゃってくださった。そうなんです。大臣が来ようが総理が来ようが、それはそれでありがたいことだが、人の心を打たなければ長い行列はできない。歌の力は権力以上のものがある、そのことが伝わったようでありがたいことだった。
歌会に気を取られている間に、世界では色々なことがあったようだ。アイスランドで火山噴火。飛行機は今でもかなりの数が欠航状態である。これは重大な面がある。ヨーロッパの活動に大きな影響が出てくる。このボディブローは大きく、良い面ではイラン攻撃を物理的に阻止した可能性がある。昨日、アメリカはイラン攻撃を数週間から数カ月以内に行うようなメッセージを出しているが、果たしてできるか。言った以上は必ずそうなるのだろうが、できないかもしれない。そういう力が動き出している。天王山が近いことは確かだろう。
心配なのは戦争もそうだが、アイスランドの火山爆発の影響が出てくるのはこれからであり、冷害との関係は深い。今夏は冷夏となることは確実ではないか。一気に食糧問題が出てくることもあるだろう。アイスランドに呼応して日本の火山の噴火もあるかもしれず、そうなると冷害のパターンとなる。地球が怒っているね。
あと、あまり騒がれないが、大変なことが決まった。借金の総量規制だ。これが実行されると大変なことになる。年収の半分しか借金できないプランのようだが、これをどのようにあてはめるのかはわからないが、年収の半分以上の借金がある人に即返済を迫るような形になればこれは破たんがとんでもないことになるわけで、銀行は不良債権の山となり、金融は潰れてしまうだろう。詳しいことはこれから調べるが、扱いかたによっては、これは金融つぶしの決定打になるかもしれない。大事なことはそしてニュースにはならない。かつてのバブルがつぶれる際にも、銀行の貸出の総量規制のニュースは日経の一面の片隅に乗っただけである。それがあれだけのことを起こした。本当にこの世はだましのやり方である。なぜ科学が進歩しているにも関わらず、よくならないかは、悪くしよう、悪くしようという政策が行われているからだと、そろそろ気づいた方がいい。人と人を争わせ、不信にさせ、国と国を争わせ、人を幸福にしない方がよいやり方で儲けて、権力を得ようとするやり方が中心にあるのだ。なぜ、拷問が行われ、人身売買が行われるのか、近代国家はなぜ多くの人間を粛清したのか、、、すべてはそこに原因がある。時代の進め方がそうなのだからそうなっていく。一度は残った人だけでよい時代が訪れたようにも感じられるだろうが、その影でアフリカはどうなったか、貧しい世界の子供たちや貧民層はどうなったか、、、これまでの私たちの時代の豊かさは、地球と貧民層の犠牲の上に成り立っていた幻のような幸福でインチキ幸福だったわけだ。ソ連で何人殺され、中国で何人殺され、アフリカで何人殺され、、、それらを全世界の人口で平均したとしたら、誰も今の時代が便利で良かった、、などと言えなくなるだろう。しかもだ、これからは通常の人々以上の羊狩りが始まる。段々生活が厳しくなっているのが、通常の人にも出てきている。この流れはこれからスピードをアップしてくる。景気がよくなるというのはディスインフォメーションであって、どこもよくなどなっていない。厳しいところからどんどん羊狩りが始まっていく。借金の総量規制などその王手とも言えるもので、借金を持っている立場の人はどうなるのだろう。住宅ローンなどもどういう扱いになるのか、、、最終権力が段々とその姿を見せ始めている。金に頼らない生き方、金を必要としない生き方の構築とアイデアが本気で求められる。それは早くしないといけない。まずはシェアする生活の工夫。次にどこの従来機構にも頼らない、自分と消費者が直でつながる形から得られるわずかでもいい収入の形成。別にあわてる必要はないが、そういうものを楽しみながら作っていくことが大事になる。金と関係のない価値観を持つこと。金の世界のことでは民衆はすべて負けたと思ったほうがいい。なので、そういうもの以外で生きていける工夫が必要になる。しかし難しいよね。すべてがお金を通さなくてはならないという常識があるからだ。だがそれも考えよう。急務は物々交換市場を作ることで、また、サービスとサービスの交換、物とサービスの交換までいけたらこれは金なしでもかなり生きていける。それに政府が、日本政府食堂などを作り、ある時払いの催促なしで食事ができるようにするなど、つまらないことに金を使わずに、今、困っている人を助ける政策に特価していけば、日本ではまだまだ奇跡が起こせる。これまで日本を売って、自分の立場だけを守ろうとしていた政治家などのイメージ戦略に乗るような馬鹿なことはしてはいけない。そのくらいは見抜く目は必要だと思う。まあ、言っても仕方ないことだが。とにかく、人間が幸福に生きるには、何が必要か。意外に簡単なことで、体に悪くない粗食程度の食べ物。高級マンションなどよりも日当たりのよい木製の質素な家、コンクリートマンションでももちろんいいですが。安い木製の家でもまったく問題なし、という意味です。家賃が高く無理があるようなら、当然シェアしあう生活を楽しむこと。家族や近隣の人との触れ合いや、そういうものがない人は、恋人でも誰でもいいので、その人とかかわることで自分の人生が豊かになる関係。要するに、泊まるところ、食べる物、一緒にいたい人、、、、これだけである。これを安くあげる努力をするだけでいい。うまくやればお金など一切なくても大丈夫、、、になるかもしれないし、お金が必要でも、江戸の美徳、宵越しの金は持たない、、、で十分にやれることでしょう。宵越しの金は持たない、、、は、美学であると同時に人生の究極の真理の言葉。江戸を馬鹿にしてはダメ。世界最高の美学、哲学がそこにあります。私は芝生まれの4代目ですが、江戸の粋は人生の目標でもある。花火や花など、形に残らないものにお金を使うことは江戸ではよいことだった。形に残らないものに金を惜しまない、、、京都よりも江戸は上だったと勝手に思っている次第。東京は最悪ですが。