父探し

雑誌ミスティの特集、「母殺し」が結構な人気だったということで、それに続く「父探し」の特集の話しが来て、本日、また例によって、松村清潔氏、森村あこ先生との座談会が松村氏のオフィスであった。母との関係はわりとわかりやすいが、父親との関係は手ごたえがない場合が多く、日本ではとくに父親不在の傾向が強い。父とは何か、、父のイメージとは、というところから座談会が始まったが、日常においては父という存在はそんなに必要がない、とも言える。母と子供の関係性の重篤化を切断する父、、、これは確かに必要な場合がある。そうでなければ、子供は個として成長できなくなる。母によい意味でも悪い意味でも食われてしまうからである。昔の父親は、子供と母とが楽しく遊んでいるところに現れると、雰囲気がサーっと変わって、母との楽しい関係性を確かに打ち切るようなそんな存在でもあったろう。最近は父も妻の子供になることで生き延びているので、父は不在化しているのでそうしたことはないと思う。父は会社や仕事と結婚してるのだから、妻との関係においても、夫とはなりえず、妻の子供である。そうすれば大体はうまくいく。そういう家庭で育った子供には、父の機能が働いてないため、何が起こるか、、、自然増殖的に芽生える欲求や目先重視の安逸な生き方が当然となり、それ以外のものがこの世に存在しないような、そういう育ち方となる。「おれさ、、ベンツ買いたいんだよね。」と、収入12万円の男が本気でそういうことを言い出すことがあるが、こうしたことは、戦前のかろうじて父親像があった時代ではありえない発言。現代の特徴である。それは家庭における父親不在から訪れる感性に違いない。現実の厳しい条件が理解できず、そういうものがないとおもっって生きている人は、どこかでいつかは現実の問題にぶつかる。それは金銭の問題であったり、社会ルール上の問題であったりする。社会の壁にぶち当たりやすい人は、父親不在で育ったといってもよいかもしれない。現代人のひとつの傾向でもある。どこからも規制がなく、揺れ動く母親心理が最上のものだと思って生きてきた人には、こうした現実の問題がいずれ襲ってくる。金銭面での行き詰まり、仕事上での行き詰まり、などにより悩みないし問題を抱えている人は、自身の中に父親なるイメージがないためではないか、一度考えてみるとよいだろう。さらに個人の問題は横において、時代にも病理はある。現在の国家の行き詰まり、、時代の行き詰まりがはっきりしてきたが、これらも、増殖した日常的な欲求がこれまでの器を破って増大したことと関係する。国家規模で、また地球規模で、器を一度壊し、再構築せねば次がない時代になりつつある。その際に必要なイメージが父である。それは天にいる父であり、天意という高いところから来る新たな原理でもある。これが政治家にも指導者にもない。なのでどうしても混乱する。父親不在はまさに現代病理であり、地球の再構築と関係する物語となるだろう。そんなことを本日は座談会で話しました。山田さん、参考にしてくだされば幸いです。ほかにも話はあったと思うのですが、追加してくだされば面白いものになると思います。しかし、父と母と、基本原理の話しは大きく広がりすぎるけど、それが必要な時もあるわけで、今がまさにそうした時代という気がする。