音による自己救済
自分の声について考えたことはあるだろうか。録音した自分の声を聞くと違和感を覚えたりするが、自分の声には自分を救済する力があると思う。おしっこ健康法というものがあるが、自分のおしっこを飲むという究極の健康法らしい。本当に効くのかどうか私にはわからないが、原理は面白い。自分のおしっこの成分からその人体に必要な成分を得られる、、、という考え。自分の声も同じである。あなたの声にはあなたの問題を解決し、救済する力があるという考え。ただし、それは非日常の声でなければならない。通常の声でももちろん効果はあるだろうが、非日常の声には救済の力があると読んでいる。たとえば、自分の名前を意識的に声を出して読んでみる。子供時代の自分の呼び方がよいと思う。みっちゃん、、、、というような感じで自分の名を呼ぶ。温かく、見守るような、満たされるような声で呼ぶ。すると自分の声を聞く姿勢が得られる。本番はそれからである。声の薬を探しだす。自分に効く声を絞り出してみる。感覚的には、埋もれているが、出したい声、、、よくわからないが、一番醜いと思う自分にも届く声、、、そんな印象を持って正直に声を出してみる。それはうめき声でもいいし、ハミングでもいいのだが、ハミングだと自分をごまかせるので、あまりすすめない。日ごろ出さない声、、、ひとまえでは出さない声、、出せない声、、自分でも聞いたことがない声、、、、しかしそれを出すと自分と対面できる声、、、そういうものが必ずある。そうした声は非日常の声なので、自然と倍音が発生するものだ。すると自分の中の奥深いものに届きだす。それだけで理由もない自分との深い関係性が深まっていき、これを知ると、日常やっている見せかけの声、みせかけの付き合い、見せかけの表面的なものがつまらなくなってくる。そのレベルで生きることは自分に対する裏切りだという気持ちや感覚が出てくる。人は自分の声で自分をだまし、自分の声で自分を癒しもする。目の輝きと声は絶対にごまかせない。本当のその人を表している。表面的な声から自分の深い声を獲得していくことで、自分というものを知る段階が深まっていく。こうしたセッションというか音の治療を実験的に今年はスタートしたいと思っている。