同族企業 同族国家

私は同族企業に勤めたことはないのでわからないが、そこで働く人にはそれなりの苦労というか、いやな気持ちになる部分があるような気がする。会社の偉い人たちはほぼ全員、一族郎党であり、それ以外はよくて番頭クラスにしかいけない。上の一族は利益を分け合っており、日ごろは仲がそれほどよくも見えないが、自分らの利益を守り、独占するためには、すぐにまとまる。まあ、それで伸びている会社もあるのだから悪いばかりではないと思うが、従業員の居心地の悪さには特殊なものがあるのではないだろうか。いま、まさに日本がそうなっている。同族国家である。日本の場合は、先の大戦に負けたので、一応の支配者は、戦勝国であるアメリカのいいなりになる人脈によって日本をリードしていった。うまい具合に高度成長などの恩恵もあり、この構図が自民党を中心にして民意を得た。多くの人たちはおこぼれによってそれなりに暮らせたし、国の発展にともなってある程度豊かにもなれた。しかし、親分であるアメリカがおかしなことになりだし、日本は為替の面でも国の政策の面でも、アメリカ国債購入の面でも、日本人の汗と働きで得た金を、すべて、本当にすべてささげたので、急速に苦しくなってきた。このことに気付いた民意は、自民とアメリカがつるんだ政治で国民が疲弊したと思って、はじめての政権交代が起きた。新政権に期待する向きが多いのは、これまで甘い汁と縁がなかった一般民衆である。反対にこれまで甘い汁を吸いっぱなしで来た人たちとその勢力は、新政権だと非常に困る。一度民主党にやらせてみたらどうだ、、、的なものとは違い、なんとしてもそれでは困るのである。なんとしても民意を得た政権をつぶさなくては、自分らの甘い汁が元から断ち切られてしまう、、、という危機を抱いたわけだ。この国は戦後から今に至るまで、甘い汁を吸いあうグループによって運営されてきた、すでに同族国家だったのである。そのことが今回の小沢秘書逮捕劇にもよく現れている。お金の問題は自民党の専売特許であるが何のおとがめもない。民主党も同じだという印象付けをしようとしているのであろうが、彼らは甘い汁が吸えなくなることに抵抗し、本気で民意に対するクーデターを起こそうとしている。マスコミ、検察、官僚のスクラムは政権が変わろうとも以前のままの原理原則で動いている。おまわりさんに愛着を感じる人間は少なくなっているような気がするのも、おまわりさんの方がすでにわれわれよりもずっとよい暮らしをしており、ちょっとくらい悪いことをしても許されるような印象がありながら、一般人には警戒してあたる的な印象がある。またそうした同族国家を半永久的に守るために一般人をいじめている、、、販促切符を切られるたびに、そうした印象を抱く人は多いのではないか。30年ほど前ならそうでもなかった。おまわりさんは私たちの生活を守る人だったが、今は自分らを守っているような印象を与える。日本はいつしか同族国家、私物国家になったのだ。その中心にあるのはもちろん愛国心などではない。むしろ反対で、日本を裏切り、弱体化させ、戦勝国のいいなりになるためのものだった。外国をよく言えば、マスコミは取り上げ、教育界でも出世ができる、、、それがこれまでの本当に現実だったではないか。卑屈に甘い汁を吸う体質が上にあるので、そこで働くおまわりさんも含めて、日本人は自分に誇りをもてないようになった。そして甘い汁を吸いあう同族国家解体を本気で新政権が考え動き出そうとしているのを見て、クーデターを起こしたのだろう。しかしそのことによって、彼らが、これまでの自民党が、またマスコミが、何を考えていたのかが、かえって浮き彫りになっていく。あまり日本人を馬鹿にしない方がいい。だから政権交代が起きたのだろう。なのにまた再び、小細工によって奪いとっても、二度と自民党の復活などあるわけがなく、考えることはおそらく民主の分裂をあおり、ごまかしごまかしでやっていこうとするのだろうが、目標は甘い汁だからすぐにこれからはばれてしまう。目先勝利のずるがしこい戦術を駆使していくたびに、実は水際まで知らないうちに追い込まれていくだろう。なぜこうしたことを自信を持って言えるのかというと、天には時があるからである。私は天の時を見るのが仕事の占星術が本職ということもあり、単純なロマンチシズムから言っているわけではない。時の流れと争って勝てる者は人間にはいない。アイビリーブの時代は去り、アイノウへ時代は進化している。信じさせることでやりたい放題だった同族国家はすべてを知るアイノウの前に霧散していく。あまりに大きすぎる偽りを知ったら、その力は霧散してしまう。この二千年間、人類はアイビリーブによって自分の人生と労働と個の尊厳を奪われてきたことがもうすぐ理解できるようになるだろう。いま、何かをアイビリーブしている人は気の毒だがおそらく失意を迎える。人生がアイビリーブである時代は過ぎた。アイビリーブは理想の服を着た悪魔に利用しつくされたのである。アイノウとは事実を知る時代に入ったということ。ただしそれは自分の見たくない部分もそれが事実なら認めて受け入れようとする者しか移行できない時代でもある。都合の悪い事実を前にして、その事実を受け入れ、それによってはじめて個をならしめ、ヨタヨタでもいいので歩きだした人以外、私たちは自分の人生を送れない時代に入った。反対にアイビリーブは、不安や恐怖から現実を受け入れず、何かにすがった生き方をした人である。その結果がワーカホリックであり、孤独死であり、病気であり、同族国家の犠牲者である。

 神を信じるようなら神を信じさせて動かそう
 欲望を信じるようなら欲望で動かそう
 金を信じるようなら金で動かそう
 愛を信じるようなら偽善で簡単に動かそう
 理想を信じるようなら死ぬまでそうさせておけ

そうやって人類が法衣を着た悪魔に飲み込まれた時代。

 結局、人は自分の汚点やみにくい部分を認めたがらない。そして理想や都合のよいイメージをどこかに投影し、自分を失っていくのだが、それを利用して丸ごと飲み込むものがあることに早く気付いたほうがいい。

 理想を看板にするもの、それを高く掲げるものは、すべてインチキだと思っていい。そのやり方こそが、人間を釣り上げる一番簡単な方法だったのだ。信じた人は殺されてきた。死ぬ時まで理想を言われ、それに気付かされずに死んでいく。死の間際までも人は自分をごまかしたいので、つまらぬ幻影を信じて、温かくもない病院で、温かくもない坊さんに、温かくもない者に囲まれて死んでいく。そういう時代をもう終わりにしようと言っているのだ。