何を書こうかと、、
さて、何を書こうかしら、、、と、思案中。私は準備がとにかく苦手で、講演などの話しも、こんにちは、、ええーと、、、と言いつつその場で考える習慣がついてしまっている。資料を用意したり準備をするということができない。たとえ用意したとしても、それとは関係ないことをしゃべってしまう。出まかせと言うと言葉は悪いが、よく言うと、その時の何かにつながったしゃべりしかできない。そのため、話の出だしがくもりがちである。むにゅむにゅしてしまう。その間に自分でもわからない話しの糸をどこからか引っ張りだそうとしているわけだ。こういうタイプは意外に多く、ぶっつけでしかできない。それに対して、用意周到な人もいる。このタイプの人の話しには中身がある。大体はこれら両極の中間タイプが一番多いと思う。野村監督なんかはぶっつけに見えて、実は用意周到に言うことを準備してるようにも感じる。長距離ランナーなどが優勝した際に、まだ息を切らしているのに用意していたようなメッセージを語るのを見たことがあるが、なんとなく不気味だった。クリシナムーティエという哲学者は、しゃべりながら、風が木々を揺らす音などがすると、話しをやめて聞き入っていたという。白人には珍しい色気である。風の音を左脳の言語脳で聞いていたのだろうか。途中でそうした感性を獲得したのかもしれない。子供のころ、ひときわ光るオーラにより、救世主として育てられ、お披露目の席で師は外におらず、それぞれの心の中にいる、、的なことを言って、集いを解散してしまうのだから、確かにすごい人だったと思う。語る内容よりも人は語る人の態度、雰囲気に何かを感じたがる。その方がより深い理解と認識に至ることを知っているためだろう。人間関係も語る内容よりも態度やムードが印象に残る。いつでも微笑んでいる人は大体は得をする。私がまだ学生アルバイトのころ、ある店が開店となり私もバイトとしてそこにいたが、多くの来賓が来る中で、とにかく笑顔だけを絶やさないようにしていた。無事にオープンが終えたとき、社長が私のそばに来て、君が店長のようだったと、お礼を言ってくれたことがある。人は勉強や出世競争に励むよりも、笑顔を絶やさないだけでも意外に成功するのかもしれない。いろいろな成功方法があるわけで、人生も同様である。難しいハードルを自分にかけることも大切かもしれないが、これならできるよ、、、というものをつきつめていく方が簡単かもしれない。要するに複雑に考えないことだ。ルックス対笑顔の勝負があったとしたら、間違いなく笑顔が勝つと思う。恋人をつくるのも結婚相手を選ぶのも、これなら誰でもできるはずだ。自分にないもので悩むより、自分に使えるものを使って、ひとは開運できるようになっている。