もうすぐ立春

2月になればすぐに立春。今年も年賀状の返事は立春になった。土日で書いて立春前に届くとよいが。陽もだいぶ長くなってきた。しかし春の訪れはまだまだ。
 最近はなぜか出張が多く、日記を書くのが遅れがちだが、世界の動きは急激である。日本のマスコミ報道は世界で何が起きているかを本当に語らないが、これは都合のよいニュースを利用して世界の動きがこうだから、、、という具合にもっていくために、通常、あまり知らせないでおいた方がいいという考えだろう。世界のことはあまり知らせない、、、、なんだか戦前の雰囲気そのままだ。終戦の年の12月23日、今上陛下の誕生日に処刑された戦犯をよそに、無事に出所した組みが今の日本を作ってきた。当然、アメリカ様に頭が上がるわけがない。以来、日本の統治は国民のためではなく、アメリカの意向で物事が決まってきた。私が学生だったころ、デモに行かない学生は女生徒からあまりもてなかったので、私もデモに時折行ったが、よく覚えているのが、佐藤訪米阻止闘争で、確か蒲田かどこかで佐藤栄作の飛行機を実力阻止するという名目のデモだった。そこで私はケガして帰ってきたのだが、まあ、ひどいものだった。私はデモ隊とは別に野次馬として参加。しかし機動隊に野次馬連中も囲まれ、なぐる蹴るの乱暴狼藉。頭に来たのは、近くの商店街の危なそうな、いかにも頭の弱そうな人が大勢いて、機動隊と一緒にヤジ馬に殴りかかってきたことだ。近くの商店街から危ない危険な人物を動員したことがよくわかった。殴れるのが楽しくて仕方ない、、、という彼らチンピラを見て、この国は当分おかしなことになると、私は若い時代に確信した。そして今になって佐藤首相の家から、アメリカとの核持ち込みの密約書が出てきた。ということは、私が単なる直観によって、佐藤訪米阻止しようとした、まさにその正当性が数十年後に正しかったことになるわけだ。まあ、そんなことはどうでもよいけど。しかし彼は国民をだまして、国民の安全よりもアメリカの要請を重視したのだから。裏切り者でもある。そして、佐藤栄作はノーベル平和賞をもらった。凄い話しである。まあ、戦前は戦争を反対する人を特高が殺したり拷問をかけてきたのだから、体制維持者の方が実は犯罪人というケースは本当に多い。どこの国でもこの構図は同じだと思う。そろそろ、民衆も目を覚ましてよいころではないだろうか。さもないと食えなくなる。場合によっては未来がなくなる。数少ない資源を少数に奪われ、寒冷化が来れば食糧だってそうなるだろう。仕事は減り、どう生きていっていいかがわからない、、、そんなケースがきっと多くなってくる。要するに、これまでのように、ずるい人が独り占めしてもそのおこぼれでなんとか生きていけたのがこれまでだが、上も厳しくなるにつれ、下はさらに牙を向けられる。その時になって気付いてももう遅い。そうした未来を阻止するための政権交代だったはずだが。あのトヨタでさえ、アメリカではめられた。ビッグ3の危機によりトヨタ独り勝ち、、、というような人のよい意見が多かったが、私は決してそうならないと思っていた。むしろ、いずれ始まるトヨタ乗取り、、、を心配していた。奥田無きあとのトヨタを、私は気の毒に思い、現社長の正直な思いを聞くにつれ、応援したい気持ちで今はいる。アメリカではめられる運命を私は当初から感じていたが、トヨタは対策ができてなかったと思う。リコールで8種の製造停止とは、凄い事態である。危ない事態だ。おそらくリコールは正当な理由ではないと思う。政治だ。円高もこれを合図にそろそろ一服することになるはずで、それは円高でおびき寄せた日本企業を次は円安にして乗っ取るためだ。しかしその前にドルがおかしなことになる絵もあるので、相場は張らない方がいい。トヨタリコールは日本企業ただ取りの合図となるだろう。もうそろそろ日本人も目覚めて、普通の日本人が普通に暮らせる感覚というか、善意による日本人の意思統一を目指す時だと思う。善意による意思の統一なら、どの国の人が入っても問題はなくなる。善意による意思の統一が日本らしさであり、それによる国づくりを目指すこと。謀略とだましの時代を終えない限り、善良な民衆は戦前同様後悔することになる。なにせ、戦前の悪人がGHQに許しをこいて出所を許され、戦後の日本を運営してきたのだから、国民不在となるのはある意味で当然。問題はこれからだ。今度こそ本当の善意による意思で国を運営していかなくては。そうすれば世界中のお金持ちや心ある人が日本に住まいたいと思うようになる。それだけで日本人は実は生きていけるようになるだろう。世界のお金が日本に集まるためである。日本人はそこで文化を高め、やさしい心を取り戻し、温かな思いと人情によって、一歩リードした新しい国のパターンを示せばよい影響を世界に与えることができる。ちょっと考えれば、これは実現可能。自分だけの利益を考える人はこれを邪魔するけど、そういうことは、もうやめてもらいましょう。これまで、もう散々奪ってきているのだから、ここらへんでもういいでしょう。新政権もこれまでの悪事を早く公表して、それでいて、心を入れ替えた人は許し、逃げ場を与えていいと私は思う。そうした方が変化が早くなる。100パーセントの悪人も善人もいるわけがないのだから。おおらかな善意がベースにある国に早く戻してもらいたい。明治以降はやはりインチキだったと思う。この国のありようが。近代国家は総じてどこもダメな面が強いと思うが、芸術家もこうした流れを理解せず、新たな芸術をつくれなかった。子供だけに可能性があったがその分、ダメな大人から虐げられている子供が世界中にできてしまった。痛ましいことであり、どうにかしなくては。もっとも偉大で可能性のあるものが一番苦しんでいる。ダメな大人を底辺で支えるために、子供が苦しんでいる。これを許すことは人間の恥であり、ダメな大人自身も成仏できなくなってしまう。善意とは、他人を救う道ではなく、自分を救うことなのだ。日本の若者は子供のようなところをまだ残している面がおおい気がして、私自身は非常に可能性を感じる。これまでの人類史にない若者が日本に多く出現しだしている、、、彼らはやさしいし、よい意味での貴族である。お金ではもう動かない。こうした若者を心の貧しい官僚の餌食にしてはならないのだが、まだ彼らは自分自身の力を信じていないところがもどかしい。