利権対新政権の天王山

近代国家は利権のために作られたことが段々とわかってくる。日本も例外ではない。利権とは、大多数の人のまじめな働き分をくすね、その分の利益を都合よく奪い取る、合法的なインチキである。そのため、利権が横行すると国民は弱ってくる。とられる一方なのだから当然だろう。ある所まで行くと、奪い取るものが少なくなり、一方奪い取る者たちはさらに貪欲になっているから、需給バランスがくずれ、崩壊する運命にある。今、行われている検察と新政権の争いは、一重に利権と新政権の争いと言っていい。国民が選ぶ国家にするか強権指導の警察国家にするかの争いとも言える。自民、官僚、マスコミ、検察、、、の連携国家から新しい国をつくれるかどうかの争いである。この争いは物理的には新政権が勝つはずである。なぜなら、すでにないものから奪おうという無理な段階にきているので、これまでの構造を維持することは物理的に無理がある。しかし民主の寄り合い所帯の弱点が現れて霧散する形になると検察の勝ち。しかしまた利権体質の国家をこのままつづけようにも、どうにもならなくなるので、利権集団はもらえるだけ奪い取ってあとは逃げるという手しかない。官僚と一体で永遠に奪い取る機構を残したいだろうが、それは奴隷たちが健康で活力があるときにしかできない。奴隷とはもちろん、国民のことだが、もう国民は疲れているので、これ以上むしり取れない。最後の形は強制収容所列島化しかなくなる。しかし日本人の意識はやはり先の大戦を終えており、もうそのような特高警察的なものを許しはしない。そういう時代はすでに卒業している。アメリカは日本に勝ったので、まだ戦争前の意識構造を保持しているが、日本は負けたので、もう戦前のような意識には戻れないので、日本を強制収容所化することは私は不可能だと思っている。その分、これまでおとなしく奴隷として貢いであげてきた。なのにこれ以上、利権が本気でのさばろうとするなら、それは許されない状態となり、彼ら利権にとって非常に危険である。ここいらでいい思いとしたとおとなしく逃げた方が本当は利口だ。それ以上の欲をかくと危ない。なので、この利権対新政権の争いは新政権が勝つと思う。新政権を応援しているから言うのではなく、物理的な観点からそうなる。たとえ検察につながる利権構造、官僚構造が勝ったとしても、もう奪うものは少ない。それよりも一度、白紙に戻してお金を再分配し、ゲームを最初から始める方がずっと利口だと思う。上の官僚ならそのことがきっとわかるはず。検察の中にも当然わかっている人が多いはずだ。検察も割れていると思う。226事件のように、お上がどう判断するか一度やらせてみよう、、、ということではないのか。私たちが間違ってはいけないのは、検察がすべて悪いのでも、官僚がすべて悪いのでもなく、新しい世の中を新しい意識を持った人たちがあつまり、みんなで協力してどう作っていくかでしかない。その主導権は民意を得た新政権がやるので何の問題もない。マスコミも早く心を入れ替えて、あまり嘘ばかり言わず、とがめられる前に利権の幻想から離れ、態度を変えるほうが利口だと思う。