朝日杯はやめて有馬記念一本で
明日は朝日杯だが今週は競馬専用口座への入金を忘れたため、見学し、来週の有馬記念一本にしぼる。狙いはもうすでに決まっていて、セイウンワンダー。昨年の朝日杯でよいところを見せた馬。この時期は走るのかも。ブログのファンの方からの助言もあり、私もこの馬で行くつもり。今年はフェブラリステークスで大当たりしただけで、競馬運は悪かった。ゲットしたフェブラリーステークスにしても知り合いの馬主さんの馬だというので、今度出たら必ず買いますね、、、の約束をした手前。勝負しただけの話。自分の予想の結果とはまったく違うのだ。そこで最後の有馬記念は何としても決めたいです。4歳馬が出ないという珍しい有馬になりそうなので、3歳馬のセイウンワンダーで何とかなるかも。ブエナビスタが一番人気だと思うが、人気の追い込み馬は暮れの中山では不安。前に行くセイウンワンダーで大金星狙い。きっと来ます、、、と、まだ一週間前だから言える発言。セイウンと言えば星雲だが、月がまだ見えないので冬空がきれいです。星空の大きさを思うと、じたばたしないで運命を許容する覚悟が、結局は宇宙と自分がつながる道だと思う。私たち人間は小さいが、地球や宇宙の一員であることは確かだ。そことつながっていればどんなに小さくてもかまわない。小さな一台のパソコンも大きなインターネット情報とつながるように、私たち個人も宇宙の一員として、宇宙とつながっている。存在の一部だから自分の中にも宇宙があることになる。要はそれが実際に感じられるかどうかだよね。どこかしらで人間は感じているのだと思うが、その感覚を閉ざすとどうしても所有に走るようになるのでしょう。所有による自己確認が必要になるし、そうしないと不安になると思う。となると、江戸の粋というスタイルは本当にすぐれていると感じる。宵越しの金はもたない、、、そしたらもしかしたら宇宙とつながるよね、確かに。形の残らないものにお金を使うことは、江戸の美徳だった。江戸は古すぎるにしても、一昔前の東京でも、そういう気風があったと思う。子供らが花火にお金を使っても決して怒られない。もったいないと言われない。昔の東京の人には、何かというとすぐにチップをあげる風習があったような記憶もある。風呂番や下駄番はそれで食べていけた。所有から自由になるともっと大きなものを得られるという構造は哲学ではなくて、芸術と近い。江戸の元禄文化はやはり優れていたのではないだろうか。私も有馬記念で古き江戸の粋を真似て、セイウンワンダーの花火を上げてこの年をしめくくってみるかしら。