ジャパンカップダート

ジャパンカップダートが明日。またはずれると思いますが、予想します。旧来勢力ではダントツの力を持つヴァーミリアンですが、私はエスポワールシチーから。一番人気もエスポワールシチーのようです。Ⅰ枠1番からポンと出て逃げるなり先行できたら、まずはこの馬ではないかしら。相手はサクセスブロッケン。そしてヴァーミリアン。穴で3番のスバルと6番のトウコン。秋からのG1路線でまだ何もゲットしてないさびしさですが、なんとかここらへんで頑張りたいです。
 しかし人生も何度もやり直しがきくところが特徴。霊的世界では思ったことがすぐに実現してしまうため、やり直しが効かないとか。思いと現実のタイムラグがあるので、この世では何度もやり直しがきく構造になっているらしい。守りに入ると運気が伸びなくなるのは、人生のこうした基本と相容れないためでもある。できたものをあえて壊し、またやり直す、、、守るものなどない、、、という生き方は確かに楽だと思う。人間に与えられているものは、唯一、食べ物だけだという話しがある。なぜかというと、食べたものは、確実に血となり体となる。しかし、服にしても家にしても豪華クルーザーにしても、状況が変化したらすぐに他の人の手に渡ってしまう。食べるもの以外は、本当に自分のものかどうかはわからない。どんなものも一時の預かりものでしかないかもしれない。これを守ろうとすると無理が出てくる。預かりものと考えれば、どんな金持ちでもおごることなく、それによって身を滅ぼすこともないだろう。確かにどんなに愛した異性でさえ、いつまで自分のところにいてくれるかどうかはわからない。お前は俺のものだ、、、というのは簡単だが、現実ははたしてどうか。だから男は常ずね愛する女が自分のものであることにこだわり、チェックしたがるのかもしれない。いずれは別れることになるかもしれないからこそ、一生愛しているよ、、、という言葉が意味を持ってくる。その時々における願いの真実として意味が出てくる。持ち物も同じではないか。預かりものだからこそ、一生大事にするよ、、持っているものを何かに生かしたくなる、、、という気持ちが湧いてくるのかもしれない。お金や物の死蔵に色気を感じないのは、だから当然なのだろう。捨てる、変える、やり直す、あえて壊す、、、それによって人は自分が確かに生きている手ごたえを得ることができる。競馬があきないのも、大体は間違いであり、毎週やり直すことになるからだろう。しかし、明日こそは、、と願いの真実に賭けてみる。エスポワール、がんばっておくれ。