本当に温暖化?
さて温暖化のデータ改ざんや嘘がばれてしまった。結構これは大変な問題となる。ディスインフォメーションによる大衆誘導がこれまでのやり方であったとなると、上が民衆をだまし、儲けの道具として民衆を操っていたという近代以降のやり方の嘘が今後通用しなくなることを示す。まさに理想を使い、不安を使い、あの手この手で民衆から奪い取ってきたやりかたが見えてしまう。
人間は夢を持つことが何より大切なの、、、と、老婆が言うコマーシャルを見て私は毎回怖くなるが、老婆が言うに、私だってもしかしたら恋をするかもしれないでしょ、、、会社を起こすかもしれないでしょ、、、とか言うのだが、なんだか怖いものを感じる。もしかしたら数カ月で死ぬかもしれないようなお年寄りが、未来に夢を持つ、、、とは一体どういうことなのだろうか。老境にはいったら、すでに自身の人生のなんたるかを静かに受け入れていなければ幸福であるわけがない。老婆に限らず、終戦後はすべてがこのスタイルの人生観だった。いつか幸福に、、、という発想は、今を無視して人をある目的に駆り立て、利用することがたやすくなる。いま、幸福な人は、安易な未来など信じない。夢ってなに、、、、というものである。私も子供のころ、大人が未来の夢を語ることが、なんだか不気味だった気がする。熱病のような不確かさを子供ながらに感じた。未来ではなく、私はきょうみたいな日がずっと続けばいい、、、と本気で感じていた。幼少期の私はだから幸福だったのだと思う。この世を悪くしても、未来信仰があるうちは、人も動く、経済も回る、、、それをうまくやられてしまったのだ。まさに幻想の未来を信じることでのうお座時代のやり方だった。
ハワイで楽しい毎日を暮らしていた原住民は海からやってきた白人に言われたのだろう。「こうするともっと素晴らしいよ」「武器があるともっと安全だよ」そして日々の豊かな幸福よりも未来の重要性を無理やり与えられ、現実の豊かさを失わされたのだろう。海からあの人たちがやってこなければ、楽園は今も続いていたのである。インカの人々もそうだった。海からやってきた白人がすべてを壊した。ペルーでもオーストラリアでもそうだった。未来の幸福を語りだし、それを信じた時から、自分と今の喜びを人は奪われる。未来に幸福になる必要などない。今、幸福になればいい。その気持ちがゆらぐと、私たちは自分の人生を他人に利用されることになる。文化は今、幸せになる道である。