今日は東京
打ち合わせで東京へ。昨晩は夢の中で縄文人には会えなかったが、皮肉なことに「ノーアイデア」という言葉が夢に出てきた。なのでしばらくは縄文人には会えないだろう。しかし夢に尋ねる、、、、ということはこれはやって損はしないと思う。わからなくなったら夢に尋ねる習慣を持つと、あちらの世界と仲良くやれる。あちらの世界とは、過去、未来、異界、無意識の世界である。夢解きを生活習慣にしていたセノエ族には有史以来、戦争はもちろん一件の犯罪も起きてないということだ。無意識と現実の和解と統合が存在の目的でもある。それによって存在自体の目的化が不要となり、あるままの受容が可能になるためだ。その手段として夢は誰にも与えられている。そのことがわかると今の時点で3Dなどに夢中になる企業の貧しさがわかってくる。これでは新たな市場は作れまい。心がわからないとこれからのビジネスはうまくいかない。何に投資をするかがわからなくなるためである。ガラクタ的なものに投資する流れで多くの企業が追い詰められていくことだろう。これは個人も同じで、自給750円程度なら、働かない方が儲かる時代となっている。その時間をキッチン農園づくり、クリーニングをやめて洗濯時間に、また、交通費を浮かせて歩いたり自転車で、、、という形にすれば自給750円分程度なら同等以上となるはずだ。ただし借金がある、現金がどうしても必要、、となるとこうは言っていられないことも事実だが、早く、こうした形がとれるような生活体制に持っていくことを考えたほうがこれからは得をする。時間を自分側に取り戻すということだ。その時間を生きることに結び付けていく作業。これで自然も復活し、美しくなり、農園も増えていく。企業も国も最後の最後は私たちを救ってはくれない。むしろ反対で、私たちを使って生き延びようとするだろうから、ここは逆に考え、早く自分らの時間を取り戻して、その時間を生きることに振り向ける必要がある。そこに楽しさを発見できた人から、新しい時代がスタートしていく。