冬の星座
月が新月に向かっているので星がきれいに見える。気がつけばいつの間にか冬の星座に変わっていた。来年の星の動きや運勢に関した仕事が増える時期で、なんだか今年も忙しい。しかし、今年ほど、来年はどんな年か、、、と考えることに手ごたえがないのも珍しい。世間的にもあまり来年の抱負や計画を聞かない気がする。数か月後のことさえわからない、そんなムードが全体を包んでいる。一年後の自分を想像しにくい時代に入ったのだろう。どうなるか、、、と考えれば、きっと今よりも悪くなる、、、そういうケースが多いはず。しかし、どうするかと、能動的に考えると、結構面白い一年になっていく、、、そういう時代でもある。個人の思いがこれだけストレートに自分の人生に繁栄されるときも珍しい。大企業をはじめ、大きな組織や機構の力が急速に弱ってくることに反比例して、個人の思惑や意思が素晴らしい乗り物となってくれる時代。本当はその方が自然なのだが、重厚長大化したこの100年を筆頭に約3000年はそうではなかった。この約3000年は人間の悪意が時代を動かす原動力にあったと思う。一言で言うならだましの時代だ。本当に個人はよく耐えてきた。ここらで、解散合図が必要となるかも。まだそこまでは行ってないかもしれないけど、戦争などでももう秩序だった戦いができず、敗退が確定した際には、解散となる。それぞれ勝手に生き延びよ、、、ということだ。今の時代も大きな変化の境目にあるのだから、指揮系統があるとかえっておかしなことになり、銘々が自由に生き延びよ、、、という意識とブームができると面白いと思う。政治も解散を応援してくれる、、、そのフォローはしてくれる、、ということになれば素晴らしい。大企業を富ませ、そのおこぼれによって民衆が生きていく、、、という気持ち悪い流れを完璧に断ち切り、最初から個人が自由にやっていく、、、という新しい流れが必要。本来、その方が自然だったと思うが、縄文時代の集落などはどうやっていたのだろう。1万年間争いらしい争いがなかったといわれるが、本当だとしたら凄いことであるし、そこには永遠性があったはずだ。夢で縄文人に会い、一度聞いてみようと思う。夢で異界との交流はしたことはあるが、縄文人とはいいアイデアだと思う。そういうことが好きな人はやってみると面白いかもしれない。美しい冬の星座を縄文人も見ていたのだろうか。シリウスを見つめる縄文人と心を合わせ、夢での出会いを期待することにしよう。