素粒子的未来
昨日は不思議な縁でヒトラーのラストバタリオンについて考えることがあった。三島由紀夫が五島勉に謎解きをしたという話しがあるらしいが、三島は予言者ヒトラーについて高い関心を寄せていたらしい。ヒトラー予言は2038年だったか23039年に人類はかつての人類とは異なる進化と退化を見せているというもので、多くの人間は機械化しロボットのような退化した人間になり、極少ない一部の人間が進化して神人になるというもの。退化にせよ進化にせよ、その原因は同じらしい。天変地異、食事、社会機構などから受けるストレスが、退化をもたらし、一部の人間に進化をもたらすというものだ。これまでの流れは今のところ、基本的には当たっているともいえるだろう。ヒトラーはこうした予言を、ある霊的な存在である者から聞いていたようだが、その背景にあるのは、反ユダヤ思想であった。旧約聖書のユダヤ思想の発展したプロトコール的未来観のアンチとしてヒトラー予言がある。その意味では、同一のものの裏表であり、ひとつの同一の未来観に従っているわけだ。なぜ多くの予言が実際には外れるのかというと、それは素粒子の存在と同様となるからだと思う。素粒子の存在は最終的にそれを観察する人の意思、意識が存在自体を決定している。未来学も同様の構造で、観察する者の意識とリンクしてしか存在できない。なので、一言でいうと、誰かが固定的な未来を語った時点で未来は窮屈となり、違った方向にその動きを始める。だから未来が動く範囲をあらかじめ限定させておくことでしか、未来予測は当たらなくなる。結局人間は未来を当てることはできず、当たったとしてもそれは偶然であり、人間に与えられたものは、未来を作る能力ということになる。またその方が断然凄いことなのだ。やっぱり最終的には人間の意識がかなりのものを決めているということになる。意識にはきわめて厳密で正確な法則があり、低い意識よりも上の意識が優先される。人を殺して喜ぶ意識と人を生かして喜ぶ意識があれば、同一の人間の中では後者が優先される。意識は下に戻れない。なので喜びの構造がこの世の正しい姿を映すことになる。人間存在の意味もそこにある。意識の向上、これほど偉大なことはない。人間がなしえる最大のことは、他の意識を変えることである。個の突出の意識であるオリンピックがどこに決まろうと構わないが、大和の意識、を、誰かが世界に伝えたなら、それによって民の意識が変わったなら、こんなに素晴らしいことはない。大和とは、何も日本のことではなくて、すべてのものがつながるという意味での大和である。神人も素晴らしいだろうが、馬鹿な人間同士が、馬鹿なままでいいから、みとめあい、助け合う、大和の意識をどう目覚めさすのか、、、私にはそのことしか関心がなく、ヒトラー予言にも神人にもあまり関心はない。それよりも音じゃないかと思う。周波数と言ってもいいかもしれない。別個のものを共振させ、つながりを作る音がきっとある。低周波やノイズに満ちた環境を社会は一生懸命に作ってあたかも邪魔しているようにも感じるが、自然の音の周波数と波形、人間の声の中にある音の可能性が大和の意識を目覚めさせることがきっとある。モーター音、スピーカーから出る一切の音、あらゆるノイズが消え、自然音のみとなった時、人間の魂にある変化がきっと起こる。私たちを本当に攻撃しているものは、だからノイズなのだ。ノイズがなければ、人間はとっくに高い意識の世界に行ってしまっていただろう。原爆よりも金融支配よりもさらに高度な作戦がノイズだった気がする。