台風接近 中川死亡 通貨バスケット

とにかく色々なことが起きてくる。大きな変化が当たり前というご時世になった。台風は本州直撃コースをとる気配だし、中川元金融大臣の突然の死、さらに英国の新聞が取り上げた、湾岸諸国が石油をドル以外の通貨で取引する通貨バスケット方式を言いだすというように。まだ何かあったがあまりに多すぎて忘れてしまった。まず台風だが、珍しく大型。私は水曜日、木曜日と外出なので、大丈夫かしら。アクアラインは通れるのかな。おそらく無理でしょうね。中川元大臣の死も気になる。早々と自殺でも他殺でもないという対応がなんだかいやらしい。まあ、そうなんでしょうけど、あの人は殺される十分な理由はあるところがなんだかいやな気持ちになります。まさか口封じということもないのでしょうが、マスコミは決して騒がない例の13兆円アメリカ国債事件はその後どうなっているのか。インチキ国債だった、、という表向きの解決なのだから、ならば、政府高官を名乗った二人の悪者は一体誰で、どうなったかぐらいのニュースはあってもいいのに、一体どうなったのでしょう。また、本物だったとしたら、13兆円もの国債を売れるのは政府以外にないわけで、政府が何を考え、どう行動したか、国民には知る権利があると思う。その矢先の元大臣の死は、本当にいやな気持にさせられます。しかし中川氏はこれでお父さんと息子の二人を不慮の死で亡くしたことになる。先立つ国際会議場でのもうろう会見で息子の中川は失脚させられたわけだが、あの大酒豪が昼に飲んだワイン程度で酔うわけがない。だからおかしいとかえってわかってしまう。すべてには裏があるというのがこれまでのやり方だったが、うお座時代は終え、もうみずがめ座時代に入りつつあるいま、そういうやり方は急速に力を持たないものになっていく。独り占めして、ずるがしこく、自分らの利益だけを求める時代には、隠しごと、ねつ造、宣伝というやり方がどうしても主流となり、またそういうことが上手な冷たい知性がもてはやされるが、残念ながらこれからは違う。あるものを奪う時には、そういうやりかた。しかし、もう奪われきってしまったのだから、これからは無から有を生み出す以外にないのだ。ずるい人の出番はもうない。散々奪い取ったのだから、はやくどこかにでも逃げて、孤独に生きていってもらいたい。無から有を生まなくてはやっていけない時代がきたのだから、バトンタッチは当然。実は無にこそ最大のエネルギーが眠っていることが、これからわかってくるだろう。物理でもそう、人間でもそう。みんなからデクノボウと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされてこなかった人たちの出番となる。
 もうひとつの通貨バスケットの話しも極めて象徴的だ。湾岸諸国がそう言ってるらしい。ドルというのは結局は石油と組むことでその存在をしめしてきた通貨だ。その元になるところで拒否されるという恐ろしい話し。なんだ、もうドルおしまいじゃない、、、、ということになるわけで、いつかは来るとはわかりつつも、実際にこうした動きが出てくるところが、本当に凄い変化だなと思う。しかしこれで多くの人はドル崩壊、ドルの際限ない下落、、、と騒ぎたてるのだろう。しかしそれは甘いと思う。相場とはそんな単純なものとは違う。また最終的には、需要と供給によって相場は成立する。サブプライム以降、ほとんどの人がドル安を騒いでやられたが、円以外ではドルは安くなるどころか驚くほど高くなった。今回も同様かもしれない。デリバティブ規模が上代で8京円と言われるが、これはすべてドルである。8京円のドルが返済を迫っているわけであり、ドルはいくらあっても足りない、、、という現実がある。これまでの金融システムをすべてご和算にするまでは、実はドルほど需要が大きな通貨はない、という皮肉だが現実があるのだ。だから、一方的にドルが売られるということはあり得ないというのが私の考えだ。馬鹿らしいけど、そうなると思う。ドルなんかもう一切の価値がないと、誰もが思っているし、実際にそうなのだが、返済での莫大過ぎる需要があるため、需給の関係でドルは保たれる。だからこそ、その間に、代わりの通貨が必要であり、その話しあいが行われる、、、という段階を忘れないこと。これでドル安、、、なんて素人が相場に飛びつくと大変なことになると思います。なんらかの徳政令が出たあとは、逆に返済義務を免れたドルが死ぬ時になる。感情とは逆なのです。この通貨バスケットは、実現するかどうかははなはだ疑問。しかしここに金が入っているところが味噌で、配分比率で金の占める部分がおそらく大きくなっていくのだと思う。間違いなく、通貨における金の占める部分が大きい時代に入った。この流れは数年模索されたのち、最低でも10数年の主流になっていくのではないだろうか。しかし、その後は金などよりも、人間だ、、ということになっていく。人間の創造性や国民性が通貨価値を決める時代がやってくる。昔の銀行は、あの人なら大丈夫、この人は今はよくてもダメ、、、など、人を見る目があったらしい。それによって融資もきまったというように、華僑などと同じ考えがあった。結局は石油でも金でもない、人間価値にまさるものはない。それをゆがめていたのがこれまでの経済であり、権力であり、文明であった。簡単に言えば、システムが変わるだけでなく、文明が変わることになるのだろう。
 これからどんな仕事も段々とダメになり、どれももうからない、、、という切迫した状況が訪れるかもしれないが、仕切り直しだと思えば、気も楽。種などたくさん買っておいて、窓際でもいいから野菜などを育て、生活の中に自分の命とつながるものを一つづつ増やしていくことが大切になってくると思う。きっと楽しい時代がやってくる。会社や仕事にまず追われない、、、いやな上司などの存在は不要であり意味ない、、、命令されない、、、時間はあるので日光浴も、夕涼みも、早起きして散歩もできる、、、魚でも取りに川や海へ行ける、、、時間があるし世話もできから、鶏を屋上で飼える、、、、よい卵を産ませる、、、老後には数千万円なければ心配だと思っていたが、仲間が集まってお互い倒れたら助け合おうなどという関係もできてきて、毎週遊びのために集まる。またこれが面白くて仕方ない。時間があるからそういうところに行ける、、、豆腐を作りすぎたからと言ってご近所の人がただでくれた、、、そうだ手袋でも編んだらあげようと、うれしくおかえしが考え付く、、、子供は親がこんなだからのんびりして、あせらなくなった、、、、勉強が出世と結び付く雰囲気の中では子供は勉強嫌いだったが、勉強と将来が関係なくなったとたんに、なんだか好きな勉強に熱が入っている、、、、夕涼みにベンチを手作りして作った、、、子供たちと花火をやったら、みんな集まってきた、、、お茶をだしてやったら、誰かがお菓子を持ってきた、、あすも会社はないから、みんなゆっくり話せる、、誰かが言った。なんだ、恐慌って最高だな。みな大きくうなづくのであった。