母音物語りの録音
昨晩、母音物語のCDの方の録音を終えた。スタジオで最初音どりし、その後、自然の中、そして森の中にある木の家でやった結果、スタジオ以外の音を使うことになった。なぜ母音なのかというと、そこからすべてが始まるからである。あらゆる音声は最終的に伸ばすと母音となるわけで、母音こそ生命発声である。その生命音を言葉にしたのが日本語の特徴であり、子音と母音が組み合わさった構造には無限の可能性がある。組み合わさりとは和としての音が日本の発声の基本にあるということである。母音の生命発声を言葉にすることは、自然界のものへの語りかけ、コミュニケーションを可能にする。風に、草木に、動物に、日本語は語りかけ、コミュニケーションをはかれるという自然観にたっている。実際、虫の鳴き声を左脳の言語脳で聞く日本人の脳は、自然界の声を言葉として受け取っているわけだ。こうしたことを可能にするのは、母音の言語化であり、生命発声を言葉とするところから、日本の文化は始まった。それは異質の文化をも受け入れられる可能性を持つことに世界はいずれ気づいていくと思う。その先取りとしての、母音物語であり、極めて野心的な試みであると勝手に思っているわけです。日本語のそうした特殊性はおもに和歌により洗練され培われて、あらゆる日本の文化が育っていったことも、いずれ理解されていくと思う。倍音の発声も母音の特徴であり、今回は倍音と高周波の収録にも特徴がある。ただ、再生機の限界があるとは思うが、ブルーレイや高周波再生機に適応した少ないコンテンツの一つになると思う。