CD録音
本日は一日かけてCD録音。今もスタジオで日記を書いてます。2時間ばかりぶっ通しで録音したので多少疲れ気味。きょうの録音は本番ではなく、最初のCD落とし用のもの。プリプロというらしい。これから一ヶ月以上かけて録音とDVD用の撮影が予定されてます。いったい何を録音や撮影するのかというと、音の可能性の追求というのがテーマ。タイトルはまだ決まってませんが、おそらく「母音物語り」となるかもしれません。ウー、オー、アー、エー、イーなど、母音は最初はうめきの音だったり、驚きの声だったり、共感の音だったものが、日本語ではそれが言葉になっていった。日本の五十音は、母音そのものかまたは、子音と母音が組み合わさってできている。私たちにとってはあたりまえのことが、実は世界的には当たり前ではなく、きわめて珍しい言語なのだ。日本語の特殊性を研究された角田忠信教授は日本語を使うことで脳が日本人特有の脳になっていくことを実証された。遺伝子的な意味での日本人という定義があるのかないのかは知らないが、日本語を使うか使わないかで脳の特徴が変化するというのは驚きだった。角田博士とは何度もお話しする機会があったが、人間の脳の働きはとてつもなくすごいことを教わった。一言でいうと、それは宇宙の意思をレシーブする機能なのだ。場合によっては寿命までも脳は知っている。日本人の脳とは、9歳までに第一言語が日本語だった人は日本人の脳になる。白人でも黒人でも、この条件に当てはまると日本人の脳になる。今、お受験などで幼少から英語を教え得る風潮があり、あたかもそれが言いように思われているが、本当はおろかなことである。ほかの海外の人の場合は、英語を早くから学んでも問題はないが、日本語とほかの言語は基本が異なるので、どうしても脳に混乱が生じる。オーノーである。9歳か10歳までは日本人は日本語をしっかりやった方がいいのだ。そうでないと脳が混乱を起こす。混乱してはまずいので、レベルの低いところで脳が防衛してしまう。この言い方は私の勝手な言い分で決して博士の言葉ではないのであてはまらないかもしれないが、私はそう感じる。第一言語は第二言語を超えられない、、、という法則もある。これはどんなに英語が上達しても、決して母国語以上には上手にならないことを意味する。当然のことである。日本人においても、英語が旨い人というのは、日本語が旨いということであり、語るなにものも無い人がいくら英語がうまくなっても、語るものは何もない。まして9歳以下の脳の混乱を招くようでは悲惨。まず、第一言語の日本語を上達してから英語は学んだ方がいいと思う。ただし、海外の人はそうではなくて、混乱はあまり起こらない。言語構造が似ているので問題がないらしい。日本人の脳の特殊性とはでは何かだが、虫の声を左脳でとらえるなど。なんだ、そんなことが特殊と言えるか、、、と思う人もいるだろうが、これは大きな問題なのだよ。なぜかというと、日本人の脳以外では、虫の声は右脳で、雑音として処理されてしまう。日本人はこれを、左脳、要するに言語としてとらえる。だから、虫が何か言っていると思う。メッセージを聞く。これはどういうことかと言うと、虫も、風の音も、波の音も、私たちに何かを語っている、、、、という世界観ができることを意味する。確かにそうではないか。あれ松虫が、、チンチロチンチロチンチロリン、、、ああ面白い虫の声。これは日本人の脳が聞いているので、そうなる。海外の人はあまり虫の声が面白いとは感じないのだ。聞き流すし、意識の上では聞こえてないように無視されている。カーカップ氏と短歌の題で私はもめたことがある。「雪」という題がよくないと言われたのだ。私はそんなことはないと抵抗し、その理由を述べ連ねた。そしたらカーカップ氏ははっと気づくように、快く了解してくださった。氏のお住まいになっている場所は雪に悩まされる地域であり、うっとおしい自然現象だったのだろう。私も少し大人げなかったと思った。しかし日本人の虫の声を左脳で聞くことは、あらゆる自然界と人間がつながっている世界観を、また、植物や自然現象との対話を可能にする繊細さを伺わせる。日本文化の心髄、そして経済の発展などとも、大きな関係がある。日本人の繊細な感性などは、まさにここに原意があったと思ってよい。さらに言えば、母音を言葉にしたことにつながる。母音は人間の生命音であり、本来なら言葉ではなく、うめきであり叫びである。それを言葉にした。すると脳が反応した。すごいことである。そのあたりのイメージをなんとか稚拙ながらも表現できないだろうか、、、との思いから、「母音物語」のDVDとCD企画が始まった。そして本日のプリプロとなった次第。また、倍音などの体や物質に直接働きかける音は、母音が要であり、母音発声の方法が大切なのだ。これも披講をはじめ、日本の古い歌の特殊性であり、本当の癒しの音楽へとつながっていく。