漠然とした不安

漠然とした不安と言ったのは、確か太宰だっけ、それとも芥川だったっけ、、、ちょっと忘れたけど、彼らが現代に生きていたら、漠然どころの話しではないだろう。時代の変化に対応するように人間の脳波も何かをとらえ始めていると思う。独特の不安や胸騒ぎ、体調の異変によって感じる人も多くなる。なんとなくいやな予感など。これらは快適なものとは違うが、人間はまだ見ぬ知らないもの対しては、どうしてもそうした反応をしてしまう。たとえそこに新しい、可能性があるとしても、初めてのものに対応する際には不安を伴う。感情はだからいつも間違っている面が多い。感情のままに生きると、すぐに立ち行かなくなるのはそのためである。感情に真実はあまりなく、感情は感情として味わいつくすことで、それを処理し、現実活動には持ち込まないようにすると、自分を取り巻く実態がよく見えてくるようになる。しかし何らかの変化が近い気は確かにする。というよりも、多くの人間がそうした波動を受けて感じ取っていることがわかる、、ということで、幕末のええじゃないか、、の踊りではないけど、何にそうした不安や期待や感情が乗り移っていくのだろうか。現代では本当にそうしたものが少ないので、個々はつらいと思う。アメリカのキリスト教原理主義はよく批判されるが、やり方はとても上手だと思う。彼らは、両手の平を上に向けて、天の気を受け取るようにして、異言を語るように教えられる。ムニャむにゃむにゃと、意味のない発声を出し続ける。それによって、天と自分がつながるように仕向けて行く。すると聖霊が下りてきて自分を包み、時に意味あるメッセージを受け取る。子供などは素直なのですぐにトランス状態に陥る。むかし、聖書に書かれた、ペンテコステと同様の現象が起きてくる。アメリカのキリスト教原理主義というのは、単なる教条的な教え集団ではなく、こうした霊現象を伴う形での普及なので、体験からくる強さが確固たる強さとなっている。これがアメリカ版のええじゃないか、、になっていく可能性は十分にあると思う。不安に押しつぶされそうな人が、キリスト教原理団体に行けば、トランスとなり、神とつながったと思える体験をする。これははまるにきまっている。そしてそれをイラク戦争の正当化、白人の正当化に、神をつかって結び付けていくのだからすごい話だが。アメリカにはこうした生きている形での宗教国家の一面があるということだ。日本ではどうなのだろうか。日本の宗教では、メジャーな現代宗教では、そうしたトランスに入っての神との交流的現象はすでにないのではないだろうか。カラオケとお酒により、かろうじてあちら側とつながる程度。人間の能力と特徴の中には、こうした本質的なものとつながる力がいまでもあるのだから、本当の奴隷制度となると、上はこうした人間の特性をどこかでつなげ、解放させる必要が出てくる。野球や娯楽がその代わりだったわけだが、あまりに日本では急に奴隷化が進みすぎたため、吐け口がなく、煮詰まっている。男子は会社と結婚させられ、がんじがらめの奴隷状態にある。女子も結婚しようか仕事をつづけようか、どう生きていけば生きられるだろうかと、、安心を求めるあまり奴隷状態。と言ってトランスして自分を解放させるものは何もない。まあ、本当に漠然とした不安が蔓延する状況はあると思う。
 梅雨は明けても梅雨空が続き、信じられない集中豪雨が多発。昔は確か50ミリ以上の雨のときに猛烈な雨、、と言っていたと思うが、現在ではそういうことがしょっちゅう起こるので、50ミリでは非常に強い雨に格下げされてしまったようだ。猛烈な雨は60とか70でないと使わない。そんな雨は滅多に降ることはなかった。しかも同じ場所に長時間続いて降る。ひふみ神示だったと思うが、何十日も雨が降り続いたら、どうなるか臣民にはわかるまい、、、というような内容があった。大地がくずれ、泥の海になるということらしい。私のところは強粘土層の新潟地震の被災地域と似たような場所なので、豪雨は非常に危ない。豪雨のあとに地震があったら山が消えるようなところも出てくるかもしれない。これは漠然とした不安どころか、きちんとした心配ごとでもある。さらに心配は、本日は親類の小さな子供を二人も連れてこれから東京へ仕事に出かけることだ。誰も見てくれる人がなく、私に御はちが回ってきた。子連れの仕事となる。まずはじめにニッポン放送に連れて行く。収録中に何かスタジオのものを壊しだすのではないかと本気で心配している。それが終わったら、せっかく東京に来たのだから、放送局のレストランで何か食べさせ、そのあと、港区の元新明神社に行き、披講学習会がある。私は会費を集めたりしなくてはならず、どうしても子供たちは勝手に動き回るだろう。しかも2時間もだまっておとなしくしてるはずはないだろうから、きっと歌の邪魔をする。まあ、どうなることやら。帰りはかなり遅くなるので、途中で寝出すにきまっているが、早く寝てくれれば救いにはなるけど、担いで子供を車に乗せ、降ろし、で、すべて終えるのが夜中の1時と読んでいる。その後、メールチェックや仕事の催促があるにきまっているので、それに対応すると、なんだまた寝る時間がない。そしてまた明日早朝から続けて東京。ほんと、夏休みはつらい。きょうのブログもだから早めに書いている次第。そう思うと漠然とした不安なんて贅沢なものだ。子育て中の主婦などは通常そんなことは考えもしないだろう、目の前の戦いに明け暮れているわけだから。全然漠然じゃないのだ。