皆既日食記念エクリプスソープを終えた

本日0時より始めたエクリプスソープづくりの最後のソープをただいま固形中。2時間途中で居眠りしただけであとは休みもとらず作業続行。本当に丸々一日かかってどうにか予約分を作り終えた。写真は出来立てのエクリプスソープです。手前のイエローの方。後ろは海のイメージでラぴス原石を置いてみました。飾りです。
 さあ、これで日食も終え、半年から数年かけて、これまでとは違う、、、という時代の流れになっていく。数日前には、木星に地球大の巨大隕石が衝突したらしい。太陽黒点の突然の発生といい、太陽系の動きが激しい。木星に巨大隕石衝突は予知できなかったのだろうか。以前はシューなんとか彗星のときには、かなり前から木星に隕石衝突の予報がでていたけど、今回はぶつかってみてはじめて知った、、、という感じ。しかし地球規模の隕石ってなんだ。そんなのあるのかしら。要するに軌道を持っていた彗星なのだろう。詳しいことは調べてないのでまだわからない。しかしこれもまた大きな意味があると思う。数年前にやはり木星に7個ぐらいの彗星が衝突してしま斑点の状態が乱れたり、木星にすっぽり穴があいたように見えたが、あの時も、木星の力が何か変わった気がした。本来の木星の働きと異なる影響力となったように感じた。その状態は今もまだ続いている。木星はこのところ痛めつけられているわけだ。占星術がいう意従来的な木星の意味が変化しているように感じる。この感覚は私は木星がさそり座に入ったころにふと感じ始め、いて座に回帰したとき、間違いなくそうだと思った。木星は占星術では最大のベネフィックであり、天のサンタクロースと言われるほど、多くの幸運を私たちに与えてくれるが、そうした木星の意味が変わりつつある。拡大された意識、集合している意識、という観点が大きくなっていて、目先の利益や損得とどんどん離れた意味になっていっている。今回の皆既日食に合わせるようにして木星に彗星が衝突するというのは、こうした集合意識に対抗する策動があるのだろうか。どこかの銀行の履歴がすべて紛失するというあり得ないことが起きてるらしいが、悪事を隠すためにはなんだってする、、という露骨な段階も始まっている。木星はネット社会の発展にも影響を与えたと思うが、ネット通しでの意識の拡大、そして連帯、をはばもうとする動きが今回の彗星衝突と関係しているかも。情報体系を一度ご和算にいずれされるかもしれないね。間違いなくこの世は一部の人たちのために都合よく動かされている。そのことを多くの人が勘づきだしている。日本では自民党に大勢の人がいかっているが、大急ぎで国民に隠さなくてはならないことがきっとやまずみ状態なのだろう。かなりでたらめな無理を通そうとしてくるだろう。皆既日食を境に、民衆と上との対立がはっきりしてくるようだ。マスコミがどう態度を変えてくるかも関心を持ってみていたい。今のところ自民と従来勢力にあきらかについている。しかし現実がわかってくると、なんだか独特の寂しさを感じてしまう。多くの人は、ふつうの家に生まれ、親に愛され、幸福を願われながら育つ。どこの国でもどの地域でも同様だと思う。そうして成長していくことは幸福につながっていくと誰だって信じようとする。しかし私たちが育つ世界が、実は冷たい者が上にいて、冷たい者のためにしか私たちの存在意味を認められない、、、としたら、それはさびしいことなのだ。冷たい者は、私たちのことを単に労働力として見る。単に肉体として見る、単に邪魔者として見る、単に臓器として見る、単に支払い者として見る、単に自由に扱える軽い存在として見る、、、そういう中で夢と希望を持って生きてきたわたしたち、そして人間。それはあまりにいとしく、あまりにあわれではないか。学生時代には芸術を語り、ソポーツと楽しみ、旅行に行き、本を読み、そして恋をする、、、しかし社会に出てだんだんと私たちはいろいろなものを失っていく、すべてがお金や仕事に置き換えられてしまい、そのことをあたりまえだと言われる。恋すらも、出産すらも私たちは、仕事の責任の前に放り出すしかなくなる。これを間違っていると、そろそろ言わなくてはいけない。時間を取り戻さなくてはいけない。誰の時間を生きているのか。走って電車に飛び乗るのは、誰の時間のためなのか。上は逃げ出している。いま自分の時間を取り戻すのによい時になってます。学生の頃、よく聞いた曲をもう一度聞いてみる、、、自分も取り戻してみる、そんな皆既日食もあるだろう。