東京都議選
いろいろと書きたいことはあったが外出が多くて時間が取れずに書けなかった。選挙は予想通りの結果、、、というが、民主第一党の予想はあったものの議席数逆転までは無理だろう、、、というのが大方の予想だったと思う。なので、逆転したことはやはりサプライズだったと認識すべきだ。都議選は小選挙区が少ないので、逆転は難しかった。今回はその小選挙区では完勝した。島部は負けたが、これは例外的であり、小選挙区での民主優位は総得票数でもはっきりしている。このまま衆議院選挙に流れていけば、民主圧勝となる流れ。そこで政府は時間稼ぎに出た。8月30日の選挙は、しかし自公には不利だと思う。作戦実行期間を長くとりたい、、、その間に民主の醜聞を探し、嫌疑をかけ、あげつらう、、、という最後の作戦だろうが、これは失敗に終わると思う。最後の頼みの綱の検察が動かないだろう。要するに上にいる人というのは、最後は自分がかわいい。最後まで甘い汁を吸いたい。だから、都議選でここまでの結果が出ると、これは一大事であり、挽回を考えるよりも保身を図ることが優先されるようになる。となるともうまとまった動きには出られなくなる。東国原担ぎ出しの失敗がやはり大きくあとをひいている。民主悪者路線はリスクが大きくなっていくので、その前に保身にはかる。一部のすねに傷を持つ自民の少数だけが、最後のあがきによる民主評判悪化に掛けて何らかの情報をリークするだろうが、ここまで来ると、検察自体が保身に入らなければならず、民主つぶしに動きにくくなる。民主圧勝後に意地悪した犯人探しをされたら出世に響くだろうし。今の上はそんなことしか考えないのだ。自民内からの造反も当然起きてくるだろうし、寝返り議員はもうすぐあとを追って出てくる。誰もがもう自民以降の政治に関心をうつしたわけだ。一番の出遅れはNHKや民法だが、今朝もコメンテーターの一人が、国民の熱が冷めたらまた違ってくるはずです。日本人は熱しやすく冷めやすいので。などと言っていた。また、東国原のことを、本当は国民はまだ期待しているのでは、、、というようなことを言っている人もいて、マスコミのあほらしさには本当に驚く。マスコミはどうしていいか、ボスを失ってひっちゃっかめっちゃっかになっているのだろう。
石原都政、今回の選挙担当が石原息子、さらに何回忌だか忘れたが、裕次郎の50回忌でも13回忌でもない、あまりなじみのない回忌の大イベントを行うなど、都議選を応援したが、まさか野党逆転だけは阻止できると思っていたのだろう。石原裕次郎、石原都知事、息子、、さらに石原軍団など、のご威光も御時世には勝てなかった。
8月30日の選挙がなぜ不利かというと、結局時間稼ぎすればするほど、これまでの自民体制で甘い汁を吸っていた連中に逃げ場を考え、自民の分裂を深めることになるためが一つ。もう一つは、夏休みが終わり、選挙の投票率がアップすることが考えられるためだ。台風頼みで投票率を下げるしかなくなる。そんな台風や地震などを起こすテクノロジーは使わないでもらいたいものだ。自公の命綱は投票率の低さにある。政治から国民の関心を奪い、お笑いや野球、スポーツ漬けなどにして、政治に関心を示してもらいたくない、というのが本音であり、まさにそのように自民は民意を誘導してきた。日ごろずるいことをしているので、こちらに関心を向けないでお願いいします、ということだが、そのやり方が本当に上手だった。その結果の無党派層の増大だが、いま、確信的に投票をしようとしているのは、まさにこの無党派層だ。これまで選挙にいかなかった、、、人たちが、動き出す以上、自公に勝ち目はない。8月8日やお盆あたりにしておけば組織票がまだ多少は有効だったろうに、時間稼ぎに出たあたりも、自公の上の判断はもう完全に狂っている。民意がもう読めなくなっているのだ。これは実は民主も同じなのだが、民主には期待されている仕事がある。これまでの真実をとにかくあらいざらい国民の前に出すこと、この一点が民主の仕事である。このことを勘違いするとすぐに混乱が起こる。民主ははっきりと、これだけ自公によって壊され、破壊されきった国をすぐに再生することはできない。まず、順番がある。これまでの政治の悪事の数々、秘密の数々を、とにかく、国民にあらいざらい知らせる、公開する、、、、これを第一に優先する、、と約束するべきである。民主の一部もかつて自民党時代に関係している、、、それも公平に出してしまったほうがかえって信頼を得る。そういうことがまだ民主はわかってないと思うが、今はそういう時代。自分に不利なことを言ってもいいのだ。それによって、民主は働きができる。これをあいまいにするとこの国は終わる。強制収容所列島になってしまう。事実を知らせるだけでで3年以上の期間が必要になるだろう。すごいことがいろいろ出てくるはずだ。まず、国庫に本当にお金はあるのか、、、ないとしたら、なぜなくなっているのか、、郵貯とは、農協とは一体何だったのか、、なぜ農業もダメになり、なぜ学校がおかしくなり、なぜエイズウイルスが入っているのをわかっていて使われたのか、許可されたのか、、健康診断とは何なのか、、企業と国の関係の密月はどうしてか、、家がなぜ高いのか、、経済とはそもそも何だったのか、、国とは一体何だったのか、、、こうしたことがわかってしまうと、何だ、、、そんなものやめればずっと国民は楽になるじゃないか、、、という簡単な答えが出てきたりし、それから変革に勢いがついてくる。そこまで今回はやってしまわないと、あとがどんどん苦しくなってくる。国とは、、、というところまで今回の変化は必ず行き着き、近代国家幻想から人々は自由になる、そこまで行かなければ、国家は殺人機能としてさらに露骨になっていくだろう。中国を見れば、アフガンを見れば、これからのアメリカをみれば、そのことがよくわかる。日本の国民も今回こそはあいまいにしないと心に誓わなければ、何代にもわたって悔いを残すことになるだろう。要するに国は乗っ取られていたのだ。だから今度は自分たちの、民意の国を作るという、当たり前の作業が待っている。