原稿すっぽかし
私の原稿をいまかいまかとお待ちになったにも関わらず、とうとうすっぽかされた皆様、本当に申し訳ありませんでした。只今、東京から戻り、パソコンチェックしてみて驚き、、、あっ、あの原稿も、この原稿も、、まだだった、、、、。と、あやまりまくっています。東京にもう拠点がないので、パソコンは重たいので持参せずに出張したが、やっぱりこれでは駄目ですね。小型パソコンを持参するようにしなくては。現在使用中のものは小型過ぎてあまりやくに立たないので、もう少し普通に打ち込めるものでなくては。大体、パソコン関係には弱いので失態の連続。引っ越し中ということで、どうかお許しください。とくに荒木さん、ごめんなさい。すぐにやりますよ、大丈夫、大丈夫、、、なんて数日前に言ってしまって。全然すぐじゃありませんでした。阿部さんも同様ですいません。この時間まで待っていて下さって申仕訳ありません。本当に先月は荒木さんの御蔭でウオッチャーなどは凄い成績が上がり、感謝しております。それなのに、、、。と頭が下がります。しかし、物書きという仕事は、締切りに追われるのが当たり前で、本気でまじめな人だとできないと思う。原稿催促の中で生活していくのだから、朝だろうが夜中だろうが基本的に関係ないし、病気だろうが元気だろうが、これも関係ないという因果な仕事でもある。この年になってもまだ週に一回か二回はほとんど眠れない日があるのだから、あまり人様にはすすめられない仕事でもある。ただ、停年はないというのは本当で、老齢にならなければ書けないものがあるとしたら、そこまではやってみたい気はする。ゲーテが常々そう言っていたようだ。若いころとは違う、老齢でなければ決して書けないものがあるとか。彼はファーストの後半をさしてそう言ったらしいが、でも前半の方が私は個人的には好きだ。後半は結局ヨーロッパ的な世界からやや東洋的な価値感が芽生る面がある気がするが、もともとの東洋人から見れば、驚くには当たらない。バッハなどの無伴奏などを聞くと確かにヨーロッパというよりも東洋にも通じる音楽に私は感じるが、ヨーロッパのあこがれとして、どうしても東洋的な世界が未知のものとしてあるのだろう。英語を学ぶのももちろんいいが、日本の文化を学ぶのは絶対に得なことだと思う。これからは特にそうではないか。白人が作った価値観が崩壊し始めている中で、次に世界の関心を集めるのは、日本や東洋の文化であることはまず間違いない。世界中でそれを求める動きがもうすぐ出てくる。戦争で勝ったアメリカのコカコーラ、映画、歌を求めて世界のヒトが動いたように、今度は日本や東洋の文化を求めて動きだす。火を見るよりもあきらか。英語ができても、何も伝えるものがない、、、というより、英語はできなくても、日本文化を知っている、教えられる、、、という方が確実にこれからは尊敬される。私は英語はまったくだめだが、世界のかなりのインテリジェンスと交わったことが多少あるが、英語ができずにバカにされたことなどない。むしろ、日本の文化や占星術の文化を語ることで、とても有意義な体験をしたと思う。赤ちゃんも言葉はしゃべれないが、心の交流はできる。言葉が邪魔しない分、心がこもる。そんな世界が大人の世界にもあるはずだ。言葉はしゃべれなくても、となりに悲しむ者があれば、その人を慰める歌が歌える、、詩を読める、、、世界の文化、ことに自国の文化を伝えられる人が、これからの本当の交流のキーとなると思う。日本にはまだまだ忘れ去られている文化が数多くある。これからそうしたものを探し、その道の泰斗にまでなれる場合もきっとある。世界の価値感が急速に変化し出したいま、そんなところに焦点をおいて自分づくりしていくというのも面白いのではないだろうか。