天安門メモリーそして 幸福愛ランド

早いもので天安門事件からもう20年がたつという。あのころ、私の友人のSさんは天安門広場に人々が結集し出したのを見て、わざわざ中国に行ってその一部始終を見てきた。Sさんは私の唯一の飲み友達と言ってもよい人だったが、今はどこにいるかわからない。経営者だったが事業がうまくいかず、これから姿をくらまして一から出直しです、、と言い残し、最後の晩に私のところにきて借りていた150万円を返却してから連絡を絶った。お金を貸して踏み倒されたことは多いが、あえて姿を消すまえに律儀にお金を返しにくるのをみて、いずれ必ず復活してほしいと祈らずにいられなかった。あれから20年もたったのかと思う。天安門事件は日本では有名だが、中国では歴史から末梢されている。それを語る人もいないようだが、不思議なもので隠された歴史はあとで利息をつけてよみがえる場合が多い。人間の記憶というのは不思議で、大事件が起きたとき、どさくさにまぎれて色々な人が色々な対応をするが、そのことをそこにいた人は鮮明に記憶しているものだ。あのとき、あいつはああ言い、ああした、しかしあの人はこうして私たちを守ろうとしてくれた、、、その時にはどさくさにまぎれて何が何だかわからないようだと思っても、そこにいた人は正しく記憶している。そういうときに人間の価値と力量がはかられてしまう。もの事がうまくいっているときに気張って一肌脱ぐ絵を見せる人は大体信用できない。広告代理店などにはこうした人間がなぜかたくさんいるが、状況が悪くなるとさっと逃げ出してしまう。反対に日頃はおとなしく目立たないがここというところで存在を示す人はやはり有能である。話がそれたが、天安門事件はふたをしてもいずれ問題にされ蒸し返されることになるだろう。韓国の光州事件も同様であるし、さらに昔の済州島での悲惨な出来事もきっとそうなる。権力が民衆に牙をむくときというのは、しかし恐ろしいものだ。たった少数の人間を圧倒的な国の力により、暴力により圧倒し、殺すのだから。そして殺した方は一切裁かれることはない。だから民衆はそのことを決して忘れないのだろう。疑心暗鬼に陥った権力者ほど怖いものはなく、歴史上こうした悲劇が後をたたない。スターリン、毛沢東、ナチス、ポルポト、、、いったい何人の人が撲殺されたかわからない。疑心暗鬼の前で凄い暴力が許されてきた。人類に対する犯罪だが、こうした形では次の時代はつくれまい。どの国もおおかれ少なかれ、最後は暴力によりその存在を維持しようとする。天安門、チベット問題の中国、マフィアが幅を利かすロシア、すでに社会主義国になってしまったアメリカ、大統領でさえ命を狙われるアメリカに自由などないし、イギリスもイスラエルも同様であり、フランスやドイツでも駆け引きの中で民衆はあと回しにされかねない、、、なんだかんだ言っても、日本の警察力も怖いことは怖いが、日本はまだ本当におかしい暴力国家にまでは行っていない。そういうシステムではもう維持できない国になっている。一足先に進化した面がある日本。やはり昔からいろいろな人種がここにやってきて、もめ事や問題が生じたが。最終的に和によってまとまった。そこに歌があったのだが、日本は和歌の国というのはそういう意味である。本当に奇跡の島という歴史がある。そうした日本には不向きだったのが明治以降の歴史であり、それは第二次大戦によって終えた。一足先に本来の日本の和を中心とするやり方に変えていく段階に来ている。民衆はもうそのことが体感でわかっているが、国がまだわかってない。政府と民意の乖離がそこにある。国民はもう外貨を稼ぐために一体となって仕事したり活動するやり方におかしなものを感じている。それでは日本には幸福が来ないことをもう知っている。まだ観光立国など、日本に世界中の大金持ちを集め、定住してもらい、無理なく潤う、、、という国策を支持する段階に来ている。夜の10時まで働き、朝は9時には会社に行く、、、これではもう奴隷と同じだが、まじめな日本人はこれにも耐えてきた、、、しかしそのつけがあまりにひどい、外貨を稼ぐどころか、官僚国家になり果て、夢も希望もない。日本人のまじめさを武器にした外貨獲得政策は失敗したと認めてほしい。民衆の犠牲があまりに大きすぎるやり方であり、その上失敗したのだから。私が考える次のやり方は、前期した観光立国的なものだが、これは10年以上前から、森と平野に分化定住する時代という本に書いてきた。まず、美しい国土の復活。荒れた森や中産管地域を妖精が住むような美しい森、川、湖に変えていく。復活させていく。そこにあらゆる、日本の文化、また世界から消えかかっている文化を定住した人々が行う村や町を作る。定住した人々は美しい森の維持にはげみながら文化活動を定住者で行う。要するに、音楽の山、陶芸の山、など、いろいろな文化の華開く山や村ができる。これで観光には最高のロケが整う。そして世界からなんでも一流になってしまう日本の不思議を求めて多くのヒトがやってくる。世界中の大金持ちには定住してもらう。それだけで軍備は不要になる。これまでのように搾取されていない優しい本来の日本人のやさしさ、誠実さが復活。治安も良好、人はやさしい、人情は豊か、、、素晴らしい最高の文化が満ち満ちている、、おいしい料理、おいしいスイート、本場のフランスなどとっくに超えている凄さ、、、何でも最高。そんな国は世界を探してもどこにもないのだから、日本でしかできない。安全、素晴らしい四季、温泉、良い水、よい森、やさしい人々、高度の文化。こうなると世界中から憧れて人があつまり、金持ちが定住する。金持ちほど安心できる国を求めている。世界の富が日本をめがけてやってくる。世界から奪おう、、として外貨獲得に焦った官僚システムが生みだしたものはあまりに貧しかったが、幸福愛ランドを日本に生み出そうとしたとたん、すべてがうまくいく、、、ということになるのはわかっているのだ。なぜやらない。自分らの権力機構を失う危険から現状維持しているだけではないか。誰かが早くそうした流れから造反してほしい。寝返ってほしい。これじゃダメだ。もっと魅力的な国にしなくては、と。日本だけができる素晴らしい国づくりがある。それを世界のスタンダードにしたなら、世界も平和になる。ユートピアになる。これは絵空ごとではなく現実可能なビジョンなのだ。金持ちは安心できる豊かで快適で人と交流できる文化芸術の華開く国を求めている。これをやらないのは馬鹿である。日本だけはできるのだから。簡単にできる。国が1000億円も出せば成功のイメージを固定し、核となるモデルができる。あとは創意工夫で凄いものを日本人は作ってしまう。だから古い人はもう逃げてほしい、去ってほしい、そういう人ではもうひとを幸せにするシステムは作れない。日本はもっとも遠いと思われるユダヤ人とでさえ和により一体となった可能性が高い。私はこれを実際に前イスラエル大使であったコーヘン閣下から伺っている。東の果てにある日本には、昔から大陸を通して海を通していろいろな人がやってきている。失われたユダヤ民族のいくつかが来ていてもちっともおかしな話しではない。しかしユダヤ人と日本人には考え方ややり方はまったく相反するような両極の違いがあると思うが、それでさえ、この日本においては融合された。戦火が絶えないイスラエルと日本が和の歌である和歌による歌会を催し、夏の一日を過ごそうと考えた私は数年前に日本イスラエル友好夏の歌会を主催した。大使公邸において大使はラビの家系であるので旧約聖書を朗読され、私たちは和歌を披講した。それは両極にあたる民族がこの日本において一体化されたという奇跡への賛歌と、いまも戦火に悩むイスラエルとに何か運勢的な平和への働きかけができるとよいのに、、、という幼い願いとしてであった。歌会は素晴らしい一体感で終えたが、その後、私は大使に直接伺った。日本には昔から日ユ同祖論というものがあるが、どちらかというと一部の風変わりな考えと受け取られている、、、イスラエルにもそういう考えがあるのか、またあるとしたらそれはどのように受け取られているのか、、、とお尋ねした。大使のお応えは、それはイスラエルにもある。そして有力な考えとされている、、とおっしゃった。凄い話しだと思った。というか、意外に世界中の人はもう遺伝子的にもすでに全員がつながっているのではないか。両極のユダヤと日本のつがなりの可能性が高いとなると、それはその中間層の民族はすでにつながっている、、、という考えも成り立つ。もうどの人種がどうだ、、、などと考えることはかえっておかしく実態にそぐわない、、、そういう段階に来ていると思うのだ。天安門を封じ込めることで、中国は天安門を世界の人々に広めた。天安門は世界のヒトの事件として形を変えた。これからはそうなる時代。だからはやく平和と快適さとやさしさと美しい自然を復活させたところから楽になっていく。新しい時代の伊吹に乗れて楽になる。戦争や戦いに飽きた人は日本に来ればいい。今回の内容はもしかしたら誤解されやすいかもしれないが、一切の政治的な背景は私などにはない。単に文化と日本の和の特殊的な御縁からの出来事であることをつけたしておく。