ジェームズカーカップ氏 巨星逝く

昨日の午前に大阪の毎日新聞から電話があり、ジェームズカーカップ氏が亡くなられたという情報があるが、本当かと連絡が入った。私もそのことを知らなかった。アンドラのお電話番号を記者には伝えたが、タイムズなどを見るとどうやら間違いないことがわかる。非常に残念である。ジェームズカーカップ氏は、英国の詩人で王立アカデミーの会員だが、英国王室との間に複雑なものがあり、アンドレ公国で晩年はお暮しになった。30年にわたって日本の東北大学、日本女子大、名古屋大学などで教鞭をとられたことが縁で、和歌への関心が高かった。平成9年の宮中歌会始に陪聴されたことが御縁となり、私が主催する星と森国際短歌大会の英語部門の選者を務められて10年に至る。晩年の10年に私はカーカップ氏と年に一度か二度だが、芸術談義というか、お仕事のついでにいろいろなことを語らせていただき、不思議な御縁を感じた。カーカップ先生にお手紙を出そうとすると、なぜか不思議なことに、先生にまつわる色々な情景が浮かんでくる。黙っていればいいものを、私もついこうしたことがあった、、と書いてしまう。すると、それは本当だ、、、私はいま、そんな気持ちでいたのだから、、、とお応えが返ってくる。世界的詩人とこうした文通ができたことで、本物の一流の芸術家がどんなものかを知った気がする。あるとき、私はデパートで、とんぼや昆虫がデザインされたひとつの飴色のコップを手にした。その時、カーカップ先生がこのコップを手にしたら、先生はある驚きを持ってご自身の幼年期をお思いだされる、、、、という圧倒的な直観を得た。決して高価なものではなかったそのコップを、そんな直観と共にお送りした。ご返事にはカーカップ先生の子供時代の不思議な体験が返ってきた。先生の詩心の最初ともなるそれは出来事だったし、記憶の造形であった。両者のそうしたやりとりを仲介してくださった翻訳の起本先生はこんなに素晴らしい手紙の交換に携われてうれしいと言ってくださった。芸術家でなければ代弁できない世界がある。そうした思いは本当は誰の心にもあるのだろうが、芸術家がそれを代弁してくれる。ある日、芸術家の心に触発された私は、風が吹きすさむ野に、ジェームズ、、、というカーカップ先生の母親の呼び声を聞いたような気がした。その時、ふるぼけた先生の肉体に新たなひらめきが入った、、、そんなイメージが私に広がった。すると先生から新たな短歌の試みをしたという小さな作品が送られてきた。これほど色っぽく、魅力的なやりとりができたことは、忘れえない喜びである。享年91歳。4月23日がお誕生日でしたので、91になってすぐにお亡くなりになった。4月23日はシェークスピアやゴ―ゴリと同じ、大文学者と縁ある日ですと言うと喜ばれていた。心から哀悼の意を捧げる。