源音による癒し

時代がここまで来るとありがたいことに色々な特効薬が出てくる。なんであれ、本当に良いものは金儲けにつながらないとか集中化できないとか、一部の者の権威化につながりにくいため、人類に与えられた来なかった。しかしここにきてUFOはじめ、水の電気分解から得る水素利用、常温核融合、長寿の秘密に至るまで、各種の本当に良いものが出始めた。また目の敵にされて一時的に隅に追いやられるかもしれないが、もうこれまでのように隠しきることは不可能になってくるだろう。時間は多少かかっても必ず世に出てくる。インチキだ、と言えばそのインチキさを証明することになるので、インチキとも言えない。そういう印象を与えて無視するという作戦以外にないとおもうが、民衆は疲弊しているので、権力によって本当に良いものを無視し続けるわけにはいかなくなるだろう。邪魔をすればするほど、なぜ邪魔をするのか、ということになり、これまでの権威の実体がかえって知れ渡ってしまう。だからどんなに邪魔しても上がいやがってもやはり時代は変わるのだ。数多くの素晴らしい発明、発見、実践のうち、私は個人的には音に注目している。音のもつ可能性に関心がある。音は周波数なので細胞にもどこにも入っていく。ホメオパシーを別とすれば、胃や肌に吸収される物質的効果ではない、波動の効果が音にはある。私はこう考えている。人間の体には、これまでに生きてきた色々なしこりが体にシコリや問題点となって記憶されていると思う。それがさまざまな病気や悩みや不快感を生むわけだが、そうしたからだと心に固着したしこりをできたら自分の声によって解消することはできないだろうか、、、という考えである。そこで源音、という発想が浮かんだ。通常、私たちが普通に話しているときの声は日常的な声であり音である。それとは別に、声の中にももっと根源的でエネルギーに満ちた、力ある音、声を持っているのではないか、ということ。驚いたとき、危険を皆に知らせなくてはならない時、私たちは通常とは異なる凄い声を発しはしないだろうか。その声自体にメッセージがあり、それはその言葉の内容以上の力をもって伝播される。そうした非日常の声に源音があるのではないか、という考えである。そうした自分の源音を使うことで、体や心に固着したさまざまなものを波動によって洗い流すことができるのではないだろうか、、、というのが私の音治療へのスタートだった。名づけて源音ヒーリングとでも言おうか。源音という概念自体が私の勝手なものだが、今、非常な手ごたえを抱いている。音はとにかくよく効く。体の異常を感じる部位に意識を合わせ、そこによく届くと思われる音を自分で発声していく。この際、通常の音では一般音となってメッセージ性は少ない。非日常の音で、その部位に届く音があるはずなのである。自分はその音を知っているはずだという意識で音を探し、発声していく。するとだんだんとモンゴルのホーミーの発声に近づいて行き、ホーミーの原初的意味がわかってくるようだ。あれも源音による癒しの音という面があるのだと思う。実際にラクダはホーミーを聞くと泣き出すという。砂漠も星も同じなのかもしれない。そして昼間の肉体の疲れも癒されていく。体がほぐれていくのだろう。源音の癒しは非日常の発声自体がなれないとできないと思うが、癒しの方法としては確立できると思う。胃が痛む、、、、その人の胃に届く音がきっとあるのだ。頭が重い、、、その頭に届く音がきっとある。そうやって自分自身を癒し解放していく。体に固着した部位に届くと直感される非日常の音を発声していくと、魂が解放されていくのがわかるだろう。よくあるヒーリングミュージックがいかにおかしいものが多いかもわかる。きれいごとでまとめあげた音のダ列では魂は解放されない。むしろお化粧で埋めてしまう。白いお化粧の中にどす黒いものが閉じ込められてしまう。日中は人殺しを平気で行った兵士が晩にワルツを聴いて感動しても魂は解放などされない。殺した者は殺した際の非日常の音によってしか自分と対面できまい。私たちも自分自身を幾度となく殺してきているのではないか。その癒しがワルツでは心もとない。源音による癒しの必要性がある。