仕事の意味

仕事がしたくないという人が増えている。よくわかる気がする。もちろん楽しく生きがいを感じながらやっている人もいるとは思う。それはそれで素晴らしいことだが、全般的に見ると、人のやる気をそぐような仕事の形や内容になりつつある。マニュアル、ノルマ、繰り返し作業、と、こちらの人間性はまったく問題にされず、歯車にされていく仕事が多い。職人と呼ばれるような仕事でもこれは同じで、注文主があれこれ売れ筋にあった形での注文を細かくつける。好きなようにやってくれ、、、という仕事はまずどこからも来ない。好きな靴もバッグも服も作れない。すべては売れ筋からの依頼にすぎない。その上細かい、しかも安い。これではやる気がでる方がおかしい。すべてがそんな調子だから創作にも製造にも商品にも力がない。あらゆる商品とサービスが平板で感動をもたらさない。これでは確かに不況にやられてしまうだろう。在庫増から来る不況というよりも商品やサービスそのものに魅力がなくなっているのだ。突然の売り上げダウンでまさかの赤字に陥ったある自動車会社なども、時代のニーズを読んで少量多品種生産の方向に行こうとしているのはわかるが、あまりのお粗末な市場分析に恐れ入ってしまった。市場分析は色々な角度からしているが、人間分析というかまず人間を理解してないように思える。たとえば女性向けの車というコンセプトらしいが、こんな車を買う女性などいるわけがない、、と私は思ってしまう。実績がどうなったか知りたいが、おそらく売れてないだろう。他の車も外見だけをいかにも新しく見せるだけで、ポリシーもないことがわかる。日本の企業もそうなら、キャでラックもあの形ははもう勘違いそのものだということが、今では誰の目にもわかってしまう。時代の変化は恐ろしい。これまでの産業も経済も、その多くは未来からお金を先に借りて動かしてきた。未来が信頼できるものであるうちはそれで回るが、今、金融の崩壊にあたり実態のない経済活動には無理がでている。実態に現実に即した経済へ急速にしぼんでいるわけだが、バブル分とリンクしていた仕事は減り、仕事内容も同様となるだろう。となるとほとんどの仕事が実は意味がない、、という凄い事態に至りつつあると思ってもよい。こんなものなくても生きていける、、、という判断で購買活動が行われるのが、実態経済である。自分の仕事が未来の金を先どりした実態をともなわないものとつながっているか、そうではないかを、判断しておくこと。実態のないものとリンクしているとしたら、いづれ景気も回復してよくなる、、、とはあまり思わない方がいいだろう。仕事に手ごたえと意味を感じていた人は悩まずに済むかもしれない。しかし仕事の多くは、現代ではむなしいものとのつながりの上にあったのではないだろうか。横文字の仕事の多くはそうかもしれない。これからは手ごたえが大切。手ごたえがある仕事は生き延びるし、発展するだろう。いま、多くの人を襲っている仕事したくない病は、決して怠け者だからではない。意味のない仕事、手ごたえのない仕事という背景があり、そのことに対する危機意識ともいえるだろう。そうは言ってもやりたくないからやめる、、というわけにもいかない。しかし仕事にむなしさを感じて苦しんでいる人は、それは決してあなたの怠け心でもあなたのせいでもない、そのことはわかってもらいたいので書いた。問題意識やむなしさを持っていれば、きっと変化の際に前向きに自分の目指す方向へ進むことができると思う。