今後の生き方
どんな時代が来たとしても人はそこで生きていく。大変な生き方と楽な生き方の違いは、時代にあっているかどうかが大きい。自分がやっていることが、おおまかに時代に即していれば、大変なことでもそれなりにやっていけるものだ。どんなに強い人でも力がある人でも、時代の流れにはかなわない。どうせなら時代の流れにあった生き方を探していくのが面白いし、楽。
いつリストラにあうかわからないような時代だから、基本的には首になるまでは会社にいること。ただし、会社にいることが心理的につらく、限界に来ているようなら、私はやめてしまったほうがかえっていいという考えだ。精神的にタフでいられる状態にしておいた方が長い目で得すると思う。疲れきっている、消耗しきっている、、というのでは困りもの。多くの職場でこれから行うことが徒労で終える可能性が高まる状況なので、消耗していない、、、というのは大事な要素。
会社にいる間に、今後の生き方を考えよう。これからは一つの仕事ですべての収入を賄う、、と思わない方がいい。一流企業でもアルバイトオーケーのところが出てきている。ちょっと前までなら考えられない変化だが、それでいいと思う。土日だけ他のことをやるのもいいし、土日を使って自給自足などを実践するのも素晴らしい。畑作りは土日だけでも数人集まればできると思う。野菜を作り、ネットで販売したり、自分たちで食べる。
人を楽しませることは永遠の仕事になるので、手品を覚える、楽器、歌、ヨガ、なんでもいいが、人を助ける、喜ばせる、、という観点からトライすると自然と収入にもつながっていくと思う。占いなども、専門知識を得よう、、、ではなくて、占いを通して人を喜ばせたい、力になってあげたい、意味あるアドバイスをしてあげたい、、、と思えば、きっと発展すると思う。あらゆるボディケアの技術、商売抜きで自分なりに考えたサービスなどの実践も楽しい。ポイントは、それですべて食べていこうと考えるのではなく、一万円でもいいからそうした楽しい収入を得ることを目的にすると、付随してきたものが宝になっていったりする。交友や有益な情報や有益な知人と知り合うなどする。こうしたものの方が会社の上に認められるよりもずっと大きな力になるのがこれからの時代。横のつながりが喜びの糸で結ばれることを目指すべき。共に歌う楽しみ、共に踊る楽しみ、共に奉仕する喜び、共に語る喜び、、そうした仲間や場所を作ることもいい。これまでの宗教や習い事の限界を超えた、もっと自由で気楽で真実が身近に感じられる場所やあつまり、人、物事に目を向ける。急速に権威化された宗教などがダメになる。そういうものではもうひとは癒されなくなってくるだろう。手ごたえがないものはダメなのだ。神を求めるなら、本当に神の手ごたえがあるものとなり、教理やドグマではない形。歌の一体感、踊りの一体感、私は倍音による自分の声でのいやしなどを追及しているが、一人一人がそうやって何か自分の特技を通して人につながるものを持つこと。その部分を教理や先生や教祖に頼らない形。また一緒に考えましょう。