母殺し

マザコン、ファザコン色々あるが、両親の心理的操作をどこかで断ち切らない限り、人間には自由はない。そんな話しを森村あこ先生と話していたら、ひょいと、母殺し、、、という言葉を森村先生が発案した。凄い言葉である。説得力がある。共同企画としていずれ何かの雑誌で特集を組むことをお願いした。私は長年人生相談をラジオや雑誌でやらせていただいているが、悩みの多くに、この問題がある。私たちはなんらかの心理操作を両親から受けている。それが必要な年齢ならばよいが、無意識に入り込むことで、生涯にわたって私たちが呪縛されることは多い。私たちは一度どこかで、母殺し、また父殺しをやらねば自由になれない。もちろん心理的な意味である。生きることをきゅうくつに感じる、、、生きることの手ごたえが希薄である、、、、ひどい場合は何をたべても味がしない、同じ味に思える、、、心理的に追いつめられるとこうしたことが起こるが、まだ自分の人生ができてない。両親が昔植え付けた命令のまま人生を生きている、、、、。そういうケースが非常に多い。父親の強制はわりとわかりやすい。だから病理となって出る場合でも、父が原因しているとすぐにわかる。そうした意味で病理は深くない。しかし母親は別である。人生に悩む人の多くは母親との関係が心理的に清算されていないものだ。日本特有の母との関係における病理の根は深い。明治維新ごろまで掘り下げて見る必要がある。
 明治維新は仕方ない側面はあるものの、かなりインチキな変革であったことは今ではわかってきている。西欧に対する卑屈さは今の政治にまで延々と受け継がれていることを見ても根は深い。明治の元勲の中には、日本語をやめて公用語を英語にしようなどとまで考えた者もいる。西欧に尻尾を振れば、当然そのコンプレックスにより、自国民には威張りだす。そこに見せかけの男らしさが登場する。勇ましく威張り散らし、それでいて深い愛情はない。威張り散らすのは、劣等感からである。西欧と対等に渡り合えば、自国への誇りも自国民への愛着と誇りが当然生まれる。しかしそうではない人が上にたった。この流れは日清日ロ戦争の勝利により、大勢となってしまい、劣等感に裏打ちされた神国日本の幻想を生みだす。そして敗戦。しかしもともと西欧と裏で通じ合っての開国、明治であった流れは、第二次大戦後も同じであり、戦後日本の政治と経済の基本スタンスが同様のタイプで受け継がれる。これが日本の悲劇であった。政治と官僚的な冷たさは、まさに彼らの劣等感の裏返しであった。その原因の元に、まさに決別できなかった心理的な母があった。劣等感の男はみせかけの男らしさで威張り、女がそれに同調した。男を立て、自分らはずるく保身をはかった。男をおだて、自分は弱い立場に立つことで身の安全を図る。ようするに見せかけの男らしさに対して、見せかけの女らしさで対応したずるさともいえる。この構図を抜きに明治以降の日本の歴史を語ることはできない。ここが元である。保護される立場の女はそれでもよかったが、保護してくれる者のいない弱い女は本当に悲劇だったのだ。男が冷たい官僚によって死地に追いやられることが戦争でもビジネスでも行われたように、女も、ずるい女の振る舞いにより、本当に厳しいこの100年を生きて来ざるを得なかったのだ。男の敵は男であり女の敵は女だった。男は女によって育てられるのが自然なのに、この流れが日本ではなくなった。そして日本には男らしい男性は本当にいなくなっている。女が男を育てなかったのだから当然といえば当然。外見的に夫や男を立てる社会は、ずるい女の中に復讐心を生む。女が自由になれる、強くなれる免罪符は子供を通して自分の思いの実現となる。そして子供を操作することで家のすべてをコントロールする方法を編み出す。だから今の日本では結婚して子供がいる妻は大体は強い立場にある。しかしその時、子供は母のコントロールの犠牲となる。こうした一連の心理的な流れと力学を一度きちんと整理したいと思っている。第一段はぜひとも森村先生と共同でやりたい。断ち切れない母の存在により、人生を狂わせた物語や歴史は多いと思う。コントロールマザーは見せかけの母とならざるを得ないので、妻や女にはなりえない。都会の核家族ではこうした心理的構図が一般的にさえなっていると思う。心理的な意味での母殺しを、あなたは終えているだろうか。