まさかの時代
おかしな事件だと思っていたら、犯人が自主してきた。なんでも34年前の復讐とか。犬を殺された恨みを34年もたって、しかも年金のスペシャリストらに復讐するとはどう考えてもおかしな話し。なぜ自主したのかの理由もよくわからない。ネットでの犯行予告など、とってつけたような用意はされているが、34年前の恨みをネットでこの人はずっと言い続けていたのだろうか。きっと違うと思う。唐突に犯行予告だけがネットに載ったのではないか。年金のプロ、年金のすべてを知っている人が殺されたのだ、、、との重みが大切。当然、口封じが行われたと思うのが自然である。なんであれ、危ない時代に入ってきた。これで年金の裏の秘密が消されたしまった。国民にとっては大変な不幸である。
人生の坂には登り坂、下り坂、そしてまさかの三つの坂がある。よく言われる話しだが、そのまさかの時代に入りつつある。すべてにおいてそうだと思う。秘密を隠したいと思う人は何でもやる、、事実を隠ぺいするためなら誰でもだます、、、しかし、食品偽装が表に出始めたように、国の隠し事も出てこざるを得なくなる。その時、国は何をもって国民の信にこたえるのだろうか。官僚の中にも、政治家の中にも、人間的に立派で尊敬できる人はいると思う。そういう人たちの良識と誠意に期待はできなくとも最後まで国民に誠実であってほしいと願わずにはいられない。そうしなくてはそんな先のことではなく、近代国家は終えていくと思う。本当に年金のおカネはまだあるのか、、、郵貯のおカネは本当にまだあるのか、、、そうした根本が問われているのだ。そこすらも疑うしかないという不幸を日本人は負っている。とはいえ、これまでは赤紙一枚で戦争に行かされていたのだから、それを思えばまだしもだが、しかし、あのころよりもさらに社会矛盾は進んでいるわけだから、国は何でもすると思う。これからはまさかの連続する時代になっていくだろう。
今、地球を覆っている問題は、環境問題、温暖化問題、水不足、鳥インフルエンザ、などをベースにしたところで、金融の崩壊が起きたのだ。世界はこうした問題を解決するというか、対処するために、もう地球人に贅沢させる余裕はすっかりなくなった、、、というのが、わかりやすい状況説明となる。まず、金融崩壊によって、世界の金持ちをなくす。金融財産を持っている金持ち連中の資産は今、平均して半値以下となっている。とくに大金持ちと言われる人は、十分の一の規模でその資産を失っている。わずか金融崩壊の第一波が来ただけでそうである。これから春までは回復に向かうと思うが、その後の第二波、第三波の崩壊により、この世からほとんど金持ちはいなくなる。そして次に世界は管理され、昔の共産圏のような貧しい生活が人びとの平均となる時代がやってくるだろう。温暖化、インフルエンザなどが同時代に現れたら、そのスピードは速まる。アメリカではとくに顕著にこうした傾向が進む。すでにアメリカは社会主義国となっている。オバマはかわいそうに使われたと思う。おそらく史上最悪の大統領と言われる道筋にはめられたと思う。意外にすぐにそのことが表だってくるかもしれない。そんなに待てる余裕などアメリカにはないからだ。就任早々に何かとんでもないことを言い出す可能性もあるという。たとえば、デフォルト宣言とか、イラン進行とか。とにかくまさかに備えることだ。
金融崩壊とは、どういうことかというと、すでに未来のおカネをすべて使いきり、もうファイナンス自体、どこからもできないそういう状況ということ。借金を重ねに重ねた人がついに周囲の全部の金と、周囲の人が借金できる限りの金を借りまくり、それでもう返せなくなった、、、そんな状態のわけだ。だからある人から奪うしかない。それがいま、金持ちがなくなりつつある状況。それを強制的にするには社会主義的な管理経済システムしかないので、そうなっている状況。さらに、すべての国民には貧しい生活を強いる、、、そうしなくてはならないほど疲弊した状況。となる。だから何の希望も持てないが、文化的なことはかえって伸びる可能性はある。そこに人類はまた戻るかしないと、地球は強制収容所と化すことになる。唯一日本だけは例外だったのだが、これも馬鹿政治家ども、旧アメリカにしか尻尾を振ることしかしらない恐るべき体質のせいで、一緒にぽしゃっちゃう可能性も高くなっている。この金融恐慌の勝者が考える次の世界のイメージは今、迷っていると思う。強制収容所か、文化、芸術的な方向かで。まずは前者だろうが、本当は後者にした方が得すると思う。なぜなら尊敬を受けるからだ。人間の最後の欲は、自己実現以外には、全員から拝まれることに行きつく。要するに、自分が神として崇められることが、人間の最終の欲となる。自己実現すればそれは意味のないことなのだが、自己実現した人はそういうことに関心が行かなくなるので、支配者にはいない。だからどうしても自分が神になる道を選択しがちだ。しかしいくら自分が神となって恐れられても、本当の尊敬は得られない。むしろ文化的喜びがうずまく地球にした方があらゆる問題が解決し、自身も心から尊敬される。まあ、そういう話しはいずれにせよまだ先のことだが、とにかくこれからはまさかの連続する時代となる。一日にしてすべてが変わってしまう、、、そういうことがたくさん起こる。なぜなら急ブレーキ、急反転するには、ルールを変えるしかないし、常識から離れた選択が多くなされる。くれぐれも常識にも、権威にも権力にもしばられない生き方を探したほうがいいと思う。これからしばらくはだんだんと楽観的なムードが広がっていき、私のいうような危機意識は遠ざかると思うが、そういうときにしか、準備はできない。次の波乱に向けて、時間的余裕がある時に自分の生き方をよく考えておくことが大切。むずかしく考えるのではなく、会社がダメになったら、親がいなくなったら、交通が止まったら、、、すなわち、何があっても生きていくにはどうしたらいいのか、、、ということも大切だし、さらに言えば、そういう時代の中で自分の幸福とは何かを知り、それにむかって集中する生き方を考えることだと思う。現体制が保証してくれるシステムの中での幸福は考えても無意味になると思う。