真夏の思索ーUFO
真夏の思索というシリーズで勝手なことを書いている。第三回目はUFO。UFOを見る人は結構見るが、見ない人は見ない。当たり前の話だが、私は立科で母船を見ている。夜だったので母船の形はわからない。けれど暗闇の中である場所から定期的に一機づつUFOが飛び出していく。ジグザグに色を変えながら飛ぶ物体はUFO以外にない。戻ってくるのもいれば出て行くのもいる。本日立科から戻ったが、今年は何も見ていない。立科では何度もUFOを見ているが、母船を見たのは一回だけだった。もっとも印象的だったのは、玉置神社で見たもの。夜中に玉置神社に着いたとき、駐車場を降りたとたんにUFOの嵐であった。途切れることなく何機も何機も飛び交っている。1時間ほど見て見飽きてからお参りに行ったが、今度は神社の中で、怪光に出会う。緑色の光が上からしかたら、横から、暗闇の神社内を飛び交っていたのだ。
あれは一体何だったのだろう。一番最初にUFOを見たのは、私が高校1年のとき。港区の三田で見た。3機が編隊を組んで飛んでいた。そのことを学校であまりに騒いでいったので、体育の時間になると誰かがあっ、UFOだ、、、と言出だして笑われた。私の友人ではUFOに頭上から尾行された人もいるが、それは恐かったと思う。夢でUFOを見る人もいる。小さなきらきら輝くUFOが手の平に停まったりして楽しく遊ぶ夢を見たことがある。きれいなUFOの夢はよい夢だと言う。真夏にはお化けの話もよいが、UFOの話も似合う。空を見る機会が多いからだろうか。心の中で見えないUFOというか私たちを見守ってくれている宇宙のなんらかの存在に対して、心を向け、エネルギーを交わしあうのは面白いと思う。きっとなんらかの手ごたえを感じる人もきっといるだろう。孤独を感じたら、宇宙に心を合わせてみる。すると私たちを見守る温かな存在を感じるときがあるかもしれない。人は決して孤独ではない、という感覚をきっと味わえる。人が孤独でないというのは、本当なのだと思う。きっとどこかで私たちは守られている。私の好きな言葉。
私は許されている。
私は守られている。
この言葉をその気になって口に出すと、本当にそうだと思えるようになる。きっと事実だからだと思う。宇宙とは上空にある宇宙というよりも、地球は宇宙に取り巻かれている。上も下も横も宇宙だ。地球も個人も今は悲惨かもしれないが、それでも愛に取り囲まれている。