真夏の思索ーこの世の勝利者
湖を見ながら考えたことは、現実的なこの世の勝利者はすでに決定していると思った。よく世界を支配している陰謀論があるが、それが陰謀かどうかはわからないが、やはりこの世の支配者はいると思う。経済活動を支配し、好況と不況を自由に操り、大勢の働きの代価を最終的に独り占めしていく支配者はいると思う。多くの支配される側と支配する一部の人々の構図。これはある意味よくないことだが自然な面もある。というのも、この世の構造をわかりやすく考えると、まともな人を、図図しく強欲で冷たい人が牛耳り、最終的にすべてを奪って殺していく、、、というのがこれまでのこの世の本当の構造だったと思う。私がこういうと、そんな、、、と思われる人も多いだろうが、これはあらゆる関係性の中でもっとも多いケースなのではないだろうか。悲惨ではあるが、家庭でもこうした力学が働く家庭があると思う。家の中で一番まともでやさしく、人間性の高い人が、最高の評価を得ているケースは本当は少ないのではないだろうか。むしろ反対に、もっとも自分勝手で冷たく、同情心のない者が家庭の権力を有し、まともな人を牛耳り、搾取し、エネルギーを奪って最後には殺してしまう、、、それが自殺であれ精神的な死であれ。家庭ですらそうしたケースがあるのなら、まして会社やその他の場所では日常茶飯事でこうした構造が働いていると思う。良識があり、人がよく、善良で、思いやりがある人は、実は大変生き辛い社会だったのだ。ポルポト政権の大虐殺も悲惨だった。野獣のようなどうにもならない者が、教養があるというだけで相手を殺していく。支配者としては、全体の知性が劣化しているほうが支配しやすいので全体主義ではこうした傾向がどうしても起こる。中国の文化大革命でもこうした事態があったし、ベトナムでも、どこでも権力者が自己保存に走るとこうしたことが起こった。なんていうことはない、まともな人が牛耳られ、奪われ、殺されたというのが、これまでの歴史の根幹だったのだ。ずるい人と良識がある人が出会えば、ずるい人が勝つに決まっている。悪意をもってだましで相手からすべてを奪おうという人と、相手のために何かしてあげたい、と思うような善良な人が一緒になったら悲劇は当然起こるのだ。イエスがなぜ十字架に掛けられ殺されたか、、、まさにこの2000年の時代を正確に表している。ずるい卑怯な人間が権力に餓え、まともで善良で精神性の高い人を牛耳り、奪って殺してきたことを正しく象徴している。しかしそうした時代はいずれ終える。なぜなら奪うものが完全勝利となったとき、もう奪うものがなくなるためだ。最後の方法としては、世界をポルポト的な構造にして恐怖支配する方法もあるが、それでは不老長寿は達成されなくなる。今の支配者には知はなみはずれてあるだろうが、情はないので、神の知恵には到達しないと思う。知は神以上かもしれないが。だから彼らが求める不老長寿は幻想と化すと思う。本当はバカにしか到達できない神の知恵があるのだ。頭のよい人はそこには到達できない。しかし何であれ、ユングが言ったように、この世はやはり支配されていると思う。ジュセリーノ氏が温暖化に関して、自分を神以上の存在だと思っているこの世の支配者でさえ、この温暖化をわかってはいないのです、、、という。ジュセリーノ氏は実はこの世の現実を理解しているのだろう。しかしこの世が強制収容所のようになり、われわれが奴隷のように生きるしかなくなったとしたら、、、。ワーキングプア、希望の見えない働く人の層、子供も元気を失うなど、こうした危険が結構本気なのではないかと、真夏の夜に思ったのだった。ではどうすればいいのかだが、一番いいのは、お金がなくても生きていける方法をみんなで編み出し、それを実践することに尽きる。実際昔はやっていたのだからできないはずはない。第一歩としては、お金を浪費にまわさず、不安のための貯蓄でもなく、未来にそなえてでもない、、、実は自分が自由でいられるためにお金を使う、、、からはじめるのがいいのだ。お金の使い方で一番大事なのはこれで、まず自分が自由な状態でいられるようになるためにお金を使う。その前に、欲しいものを買ってしまうから、いつまでも現代人は自由になれない。自由に生きるためには貧しくてもいい、という決断があるとこれからの人生は開けると思う。私も20代の元祖ワーキングプアの状態からある程度だが自由人になれたのだから、工夫次第できっと誰でも出来るはずだと思う。これからは金持ちか貧乏かよりも、自由な人か不自由かのほうがウエイトが高くなってくる。