信州夏のご縁の食事会

以前、お話していた信州での夏のご縁の食事会も11日に無事に終え、3人の方々がいらしてくださった。女神湖の近くで食事して楽しいひと時をもてました。ありがとうございます。その日はちょうど女神湖の花火大会があり、その後、わたしは花火大会に。残念ながら霧の発生であまりきれいではありませんでしたが、最後の花火はきれいでした。写真はその時のものです。
 夏のオフィスは快適ですが、テレビもない、ラジオもない生活なので、まったくオリンピックがどうなったかも、世の中の動きがわからない。毎年そんな風にして過ごすけど、情報がまったく入らないというのも、慣れるとそれも自然に感じます。松林の森林浴を毎日しているので、脳波がきっとどこかしら変わったと思う。森林欲を3日以上続けると、それから数ヶ月は何かが変わると聞いたことがある。ストレスの発生がかなり抑えられるらしい。森は不思議です。森と海との関係はよく言われるけど、森の保護、復活、森への定住、森での文化の発信、、、ここから人類はやり直すと一番早くよい効果が出ると思う。昔、越智啓子先生から愛先生は森で変なことをしていたから、、、と前世について言われたことがある。変なこととは魔術師の親分だったとか。そのことを今は亡きルルラブア先生に話した。自分は魔術などまったく知らないし興味もない。現実的なことのほうが好きだ、、、とわたしが言うと、愛先生、本当の魔術師というのは、もっとも現実のことをよく知っている人のことを言うのです、、と言われた。だからわたしが魔術師だというのではもちろんない。不思議なことで学んだのは、占星術と、最近では倍音の実践程度。ただ言えるのは、不思議がどこかにあるのではなく、この世が実は不思議だということだ。現実が実はもっとも神秘なのだ。神秘をどこかに求めている人は、かえって現実が見えないという面はあるだろう。漫画の世界に神秘やロマンを求める人も多い。しかし物語の中に神秘があるのではなく、今いる、今生きている、この現実が神秘そのもの。素粒子が人の意思によって現れたり消えたりするというのだから、現実こそが神秘だったのだ。それにしては社会のシステムも考えも遅れており、それこそが迷信に思えてくる。間違いなくわたしたちは近代的でも合理的でもない、実は迷信の時代を生きていたのだと思う。私がよく言うことだが、このアスファルトジャングルを当たり前に考えるのは、迷信だからこそ可能だとしか思えない。現実を見つめれば、今のような社会を築くはずはなかった。迷信から目を覚ます、、個人も社会にも求められている。