アメリカの銀行がペイオフ
とうとうアメリカ大手の銀行でもペイオフ騒ぎである。大問題なのにあまり日本では騒いでいない。これは大変なことで、ベアスターンとあわせて2行で済む問題ではないと思う。急激な円高になる気配で、ドルは売られる。結局日本のバブル破裂と同じことがアメリカでおきだした。当然、ヨーロッパに派生していくのも時間の問題。しかしこのまま金融崩壊に行ってしまうのだろうか。ジュセリーノさんの夢予知によれば、まだ世界経済はあと2年は持ちこたえるというが、現状の流れはさらに早まっているように見える。2010年の6月13日にニューヨーク市場が大暴落をして、そこから世界恐慌が始まる、、とまではっきり言っている以上はその可能性が高いとは思うが。しかし凄いインフレが急激にやってきている。町中の車の数が急速に減っている印象があり、どこに行くにもわりとスムーズに行ける気がする。都内の道路は間違いなくすいているように見える。また外食を控える動きが急に出てきている。ファミレスなど夜もガラガラのところが多くなっている。とにかく変化が急だ。この半年で企業間取引での物価の値段が6パーセント近く上がっているらしい。いずれ市販の物価の値段に反映されてくるだろうから、年間で5パーセントを超える上昇になってもおかしくない。凄いことである。しかもインフレはまだ始まったばかり。反対に増税は着々と進んだのだから、これで消費税が大幅に上がったら、誰が食べていけるのか。40代の夫婦のほとんどが両親のすねをなんらかの形でかじっているという。30代、20代ならなおさらのことだろう。両親のすねをかじらない限り、結婚生活を維持できない状況が今の日本にはある。私は今日、近くの川辺を散歩したが、涼しくて気持ちがよかった。すぐ近くにこんなにいい散歩コースがあるというのに、ほとんど行ったことがない。原宿に住んでいたときも、すぐ目の前に明治神宮や代々木公園があるのに年に何度も行かなかった。もったいない話だ。しかしよく考えてみると、仕事が忙しすぎてそうしたルーティン以外の時間が持てなかったところに原因があった。日本人は多かれ少なかれ、そうなのだと思う。あまりに仕事に時間を奪われてしまってきた。そしてその仕事は決して私たちを豊かにしてくれなかった。目の前の素晴らしい川辺にも、公園にも、息するように自然な気持ちで行けない。そこまで仕事にすべてを捧げていても、仕事は私たちを救ってくれなかった。型にはまった生活と、コンビニのあんちょこ生活と、家庭の崩壊とまではいかなくてもその生活の希薄さ、、、他のものはすべて仕事に捧げたのに、仕事はわれわれを救ってくれなかった。仕事が大切で、大事で、それをすることはよいことだ、、、というのは、ウソなのではないか。山田電気でも委託会社の社員を長年無給奉仕させて使っていた、、マクドナルドも他のサービス企業も、名ばかり店長という待遇により、露骨に労働力を搾取してきた、、有名ブランドも利益率を上げるために、アフリカやインドやタイなどの奥地で子供たちをタダ同然で使っている、、、なんてことはない、今の安い商品のサービスはこうした残忍な労働によって支えられている面が大きいのではないか。バカにした話である。その結果、今度は経済が崩壊する危機とはどういうことか。結局、金儲けしかわからない連中に経済をまかせたらこうなってしまう。誰ひとり幸福になどしない。そういう者に対するサービスとして仕事があるので、どうもしっくり行かないし、仕事をすればするだけ、何か人間性を破壊される構造を持っているのが現況の一面だ。だから自分が壊されると感じたら、仕事など真剣にやらないほうがきっといい。やりがいがあり、面白くてしょうがない、、、という人はもちろん別だが、欝になってまでも責任など感じる必要はまったくない、と決意していかないとこれからは大変なことになる。いずれもっと本当の、人の幸せに貢献する仕事で、やりがいもあり、働くほど感謝される、そういう命ある仕事がきっと出てくる。そうならないと本当に終わってしまうからだ。本当は自分でそういう仕事を始める、仲間とはじめる、というスタイルが面白いとは思うが。とにかく今の企業マインドにごまかされないほうがいい。さすがに人を働かせることは研究されつくされている。人間の弱さに彼らは漬け込んでくる。昔、大企業で、君は何のために働くのか、、、、という意識調査をやった。そして、会社のため、と、自分や家族のため、、、という二つに主に分けるようにもって行く。そして、会社のため、、、という答えをした人に徹底して、そうじゃないだろう、会社などではなく、自分や家族のために働かなくてはおかしい、、、と結論ずける。そうすれば非人間的な作業にも待遇にもしたがってくるという企業の読みだったのだ。弱い人間や迷っている人間には、これが面白いように効いたらしい。自分のためにやっているのだから、これくらいの無理はできるよね、、、、という企業のずるさである。マイホームも同様の手として有効だった。今は違うがこれまでは企業はいくらでもマイホームのためならお金を貸した。借金でがんじがらめにしておけば会社の言うことを聞くしかないからだ。こうして日本は全体として株式会社化していき、ゴルフ、車、野球、住宅、ですべてを抑え、社員の奴隷化に成功してきた。サービス残業、日曜出勤、会社への奉仕活動などはこうしたことで丸儲けの構図。やはりこうした考えややり方は、本来の日本人のやり方と異なり、本当は主流になってはいけなかったのに、そうなってしまったところに悲劇がある。第二次大戦、バブル崩壊、その後のビジョンの喪失、、これらはこうした体質がもたらしたものである。その延長線戦場にある仕事などに自分の身や魂をかける必要などない。鬱になったり体を壊してまで奉仕する必要はないことを、今、はっきり胸に刻んでおいたほうがいい。これから、こうした上の構図が力を失い、急速に壊れている。敗戦直前の特攻機にわざわざ乗る必要はない。意義を感じ、敗北がわかっていてもやりたい、、、というのならもちろん別だが、やりたくない、体が重い、憂鬱だ、、、というのに責任など不要ということです。われわれは自分自身として生まれてきた、意義がある。そうしたことに無関心で単なる金儲けの使い捨てとしてしか考えないような企業や仕事とは縁を切ってもかまわない。ただそれでは生きて行けない、、、という現実には、そう思うことで自分の自由な魂の動きが出てくると思う。そうなれば自分が生きていく道はきっと見つかるというしかできないが、きっとそうなる。これからはまじめにやったって生きていけるかもわからないのだから、エネルギーを自分のために、わかりやすいもののために使うようにしなさい、ということである。