梅雨の中休み
ごめんなさい。日記がしばらく書けませんでした。これから一週間は多少落ち着いて仕事が出来るはずで、日記も書けると思います。と言っても、特に大した中身があるというわけでもないのですが、昨日見たニュースにこれからの本命の技術を見た思いがしました。ビジネスサテライトで、燃料自動車ではなくて、水から水素を取り出し、水素から電気を起こして電気自動車を動かす内容。なんだ、もうできるんだ、、、という嬉しい驚きと同時に大手ではやらないのだろうな、、、という気持ち。やはり小さな企業がやりましたね。このまま育って行ってくれるといいのだが。というのも、フリーエネルギーにかかわることは、これまでにも凄いものがたくさんあったのに、ことごとく邪魔されたのかどうかは知らないが、陽の目をみることがなかった。おそらく色々な方面からの大きな圧力と妨害があったのだと思う。しかしこれからはジョせりーノさんの夢予知のように、もう待ったなしの時代となるので、こうした隠れていた本当に人間のためになる技術が出てこざるを得ない時代になった。昨晩のニュースでは、車に積んだ水素分離機に1リッターの水を入れるだけで、80キロも走れるというもの。しかも時速80キロも出せる。燃料は水である。ようするに水素発電機を積んだ自動車ということになるのだから、車に限らず、家庭での発電としても簡単に応用が効く。その会社の社長は、ぜひ電気自動車にこれを搭載して欲しいと願っていた。当然のことであるし、大手の電気自動車にこれが搭載されれば、コストも驚くほど安くなると思う。しかし実際にはどうなるだろう。ハイブリッド車という時代の狭間が生んだ奇妙なものに多くの自動車会社は進もうとしているので、こうした根本解決が可能な技術にもう一度路線を変えて行くよりも、あえて無視し、自分たちの膨大な投資が無駄にならない方向をとると思う。今の自動車大手の体質ではきっとそうなる。となるとこうした技術はこれまでのように陽の目を見ない恐れも出てくるが、しかし、これが小さな工場で可能になった点に人類の希望がある。そう、どんなに大手が邪魔しようが国が邪魔しようが、既成事実を小さな規模でもつくれれば、これはいずれ拡大していく。もう後戻りはできない状況まで来ている。さらに温暖化の問題があり、政府もいずれは後押しをしなくてはならなくなる。温暖化の問題とは、企業利益と相反する構図を持っているために進まないというのが実態だったが、そうも言っていられなくなった点に希望が出てきた。家庭に一台、水素発電機があれば水を入れるだけでふんだんに自由に電力が得られる。暖房もお風呂もすべてがタダになるのだ。電柱がある間は悪い時代だ、、、といっていた出口鬼三郎だが、いよいよ電柱の不要の時代が始まろうとしている。水素はやはり危険だとか、色々な妨害活動があるとは思うが、きっとこれは実を結ぶだろう。エネルギーがタダになるというのは、食料問題も労働問題も基本的に解決することを意味している。すなわち、エネルギーを独占することで支配権を得ていた力が霧となって消えることを意味する。アクエアリスエイジ到来の必須条件がこれなのだ。ここで宣伝となりますが、私は今、ミスティという雑誌でアクエアリスオラシオンというエッセイの連載をしている。これがけっこう人気があるようですので、ぜひご覧下さい。みずがめ座時代のエッセンスをボキャブラリーとして毎月数個あげ、語っているもの。時代はまだうお座時代の終焉期であるが、確実にみずがめ座時代のエッセンスがそれにとって変わりつつある。そのセンスを語りたかったのだ。みずがめ座時代は最初から地球と人類の危機からスタートすることになるが、その解決策もみずがめ座的なものから訪れる。愛に裏づけされた技術。水素はその一番手であろう。水素はもっとも軽い元素だからなかなか上手に使えなかった。アセンションとは水素時代のことでもある。水素を利用した健康、及び科学技術がキーとなる時代が訪れている。秋葉原の殺傷事件は痛ましいが、彼の背景にある現代の問題は誰の目にもあきらかであった。とくに自動車会社に勤めている、、と聞いたとき、人間が機械に合わせられるシステム工場の過酷さと冷酷さがイメージできた。とくにそうしたものが最大限に研究尽くされている冷酷な企業システムが彼の居場所だったと思うとやるせない。非人間的なものは、その場だけの利益に供じることはできても、すでに全体の利益にそぐわない時代になっている。このこともまだ企業は本気ではわかっていない。日本を代表する企業のトップの顔にもそうした貧弱さが現れている。間違った戦争を起こし、一億の民と周辺諸国の民を不幸に貶めた上層の軍人や支配者と変わらない貧しさがそこにある。顔で判断してはいけないが、顔に表れるものもある。しかしこうした流れもいづれ水素技術が吹き飛ばしてくれる。こうした町工場の可能性、これまで大企業に苦しめられ、使われ、ゴミ同様に捨てられてきた町工場から人類救済の物語がはじまるかもしれない。ありがたいことである。耐え忍んだ魂には純粋性があり、愛に裏づけされた科学技術が花開くことだろう。