メルマガ
最低でも月に一回はメルマガを出す予定だけど、なんなのこの忙しさ。日記も二日ほど書いてない、、、というつもりだったけど、開いてみて驚き。もう一週間も書いてなかったとは。申し訳ありません。大したことやってないのに忙しい。これからはスローの時代だというのに自分自身がまったくスローでない。マスコミ的なところに籍を置いている特有の忙しさで、情けない気持ち。大相撲はどちらが優勝したのか気になっていたが、朝青龍が優勝と聞いて、よかった、、、と思った。今、世間では朝青龍擁護派と朝青龍反対派がいるとか。どっちでもいいけど、どちらかというと私は最初から、朝青龍派だった。当初は朝青龍擁護派は少数だった。本当にどっちだっていいのだけど、私は朝青龍を悪く言う、マスコミや相撲協会のほうが間違いなしに品がない気がしていて、それがいやだったので朝青龍を擁護してあげたかったのだ。その後、相撲協会の体質が生じたとしかいえないような殺人事件が起こり、反省もないわけで、朝昇竜を責めることなどできるのだろうか。あの人は私にはあまり悪い人には思えない。本当は涙もろく、優しい人という勝手な印象がある。だから神経症になったのだろう。確かに神経症の顔つきをしていたから本当にそうだったと思う。離人的な雰囲気がしていたし。ウソだという精神科医も出てきてマスコミに取り上げられたりしてたけど、私にはそう見えた。逃げるように帰国していやいや帰ってみると、相変わらずマスコミは悪意むき出し。なのに、一般ファンが何だか、自分を応援しているような雰囲気がする、、、と彼は感じたと思う。明治神宮の奉納土俵入りでも、何だか、白鳳よりも自分のほうが喜ばれている、、、とそう感じたのではないだろうか。それは本当だったのだ。マスコミは悪く言うが、応援している一般の人が多かった。いや、実はその数は逆転していたのだ。どうにもならなくなった相撲協会を救ったのは、実は朝青龍だ。閑古鳥が鳴いていた観戦者数が朝青龍見たさに増えてきた。これはどういうことかというと、やはり、真剣さ、本気で戦い、苦しいながらも頑張って生きていこうとする者に対する、応援なのだ。今の日本には、そういうものがなさ過ぎる。人の揚げ足をとり、さも自分が正しいというようなマスコミに、良識ある人は嫌気がさしているのだ。会社の上司も、政治家も、みなそうだ。真剣に正直に生きる中には、無骨さも、わがままも、ときには悪態だってある。しかし人はそこに一生懸命生きようとしている若者を見たのだ。今後も私は朝青龍のファンであるかどうかはわからないが、一連の相撲スキャンダルの中では、一貫して朝青龍を味方していた北理由である。これは若貴のときもそうだった。弟の貴の花はあまりマスコミに人気がなく、お兄さんのほうが人気があった。あの時は一般ファンもそうだった。しかし私は貴の花の悪く言われても一貫してくづさない、彼が言うところの相撲道が伝わった。この存在感の違いは、いずれ修正される。今はお兄さんの人気が高いが、相撲を極める姿勢ではなく、マスコミに対する人気取りにすぎない、リアリティは弟にある、、というのが私の印象だった。果たして、その後の道を見ると、お兄さんはあっさりと相撲を捨てた。それはそれで立派だと思う。やはり自分をわかっていたのだろう。商売で成功しているらしいが、そうなのだ、そういうタイプだったと思うし、それでよかったと思う。貴乃花のあの今でも不幸を背にひた隠しにしているような圧力と精神力は何なのだろう。宮沢りえとの関係までどうしても彼の心の内をさぐると行き着いてしまう、と私は感じる。だから彼は英雄的なのだ。普通の人にはそこまでできない。私は貴乃花は好きではないが、しかし彼には英雄のみが持つ孤独感がある。苦しい恋を失い、それを耐え、自身の心にごまかさずに生きてきた者のみが持つ孤高な顔なのだ。もし彼が死んだとしたら、相撲協会でもっとも存在感がある人物が理事長などではなく、彼だということがきっと誰の心にも伝わる。そういう人が少なくなった。みな政治家になってしまっている今の相撲協会。内館さんなどが朝青龍を悪くいうが、それはそれでまた事実なのだろうが、政治的な権威をちらつかせる女性にはなぜ魅力を感じないのだろう。結局、人はその人が深い体験をし、そして傷つき、それでもなお、懸命に生きていこうとする、、、そのことに感動するのだ。しかし本当にそういう人が少なくなった。