3月10日
言わずと知れた大空襲の日である。テレビでも色々と特集が組まれているようだった。悲しいのはこの大悲劇がアメリカに遠慮してかあまり戦後に知らされてなかったことだ。政府のこの卑屈さには本当にいやなものを感じる。この10年だろう。大きく語られるようになってきたのは。大空襲と原爆を許してはいけない。人道に対する罪であることは明白。いずれ、世界でアメリカは何をしてきたか、、、という本がきっと出されると思う。原爆投下時刻や大空襲のやりかたを見るとまさに悪魔的である。原爆はどちらも朝の通勤時間帯で人が外に出てくるときを狙った。多くの子供や学生がいることをわかって狙っている。これは許してはいけない。また大空襲もまず下町の周囲を円形に爆撃し、逃げられないように火のサークルを作ってから徹底的に円の中を焼き尽くしていった。これも許してはいけない。許してはいけない、というよりもまず事実をはっきりさせその悪魔的なやりかたを明確にし、決してうやまうやにしてはいけないのだ。わずか60数年前にそういうことが実際に起きたのだ。そして戦争は今も起きている。儲けのために起こす人がいるから困る。本当の世界平和というのはイデオロギーではもちろん無理で、人類愛とも多少違う気がする。一番確実なのは本当の少エネ暮らしでの充実感とそこから得られる喜び、、、を目的とし、また実践することなのだ。エントロピーが増大した生活をおくる、たとえばニューヨークで停電になると大変な事態が起こるが、エントロピーが少ない生活地域での停電は美しい夜空のプレゼントとなるに過ぎない。では少エネで暮らすことは不幸だろうか。これははっきりしていると思う。実は人の意識がリアルにつながりやすいので幸福感が増大する。となると人間は本来は少エネで、将来の不安なく、日々の豊かさをリアルに実感して生きていくほうが向いているということだ。食べ物においても、生活の方法においても。移動の無意味さ、物品の移動の不自然さ、便利追求の貧しさに早く気付き、生活自体を変えることができたらよいのに、と思う。便利さに現代人はだまされてしまったが、これは少数のところの利益を増大させるにはよいが、便利=機器が必要となり近代科学思考を生じていった。しかし個人が幸福になるためには、断然少エネなのだ。人間の本性からそれははっきりしていると思う。いま、われわれは将来の不安を強くするが、少エネではないからだ。老後に6000万円必要とか、、、マスコミが言うそんなことを信じているのはバカではないかと思うが、たきつけられた不安に日本人はとても弱い。日本人ほど少エネが上手な人はいないと思うのだが、それを生かして文化的に豊かな国家を作っていけば、最高の国になると思う。質素な家でも日当たりがよく、質素な食事でも、噛めば噛むほどおいしく、50インチのテレビはなくても、大好きな人と会話ができて、残業代はもらえなくても6時には好きな人との時間がもてて、毎日のように仲間と夕食をして、大好きな歌や踊りを踊る、、、これ以上の生活があるわけがない。これでいくらかかるのか。便利さ、科学技術、ハイテク、、、人は大きくだまされてきてしまった。