冥王星やぎ座入座
明日の25日にはついに300年ぶりに冥王星がやぎ座に入座。300年前には冥王星は発見されてなかったので、はじめてのイングレスと言ってもよい。この件の詳しいことはメルマガで語るつもりだが、冥王星は格下げされたとは言え、占星術的な意味あいは大きく、今でも最大の影響力がある星であることに変わりはない。影響の仕方はただこれまでとはかなり異なるというのが私の考えだ。ただそのお陰で、絶滅力は弱まっており、人類は危ないところで救われたとも言えると思う。もし冥王星が格下げされなかったら、絶滅現象はさらに大きな規模になっていたはず。絶滅力が多様性にかなりの部分置き換わったのは救いだった。明日は私の誕生日だが、偶然冥王星のイングレスもあり、記念に残る誕生日になった。私の誕生日には、25の数字が3つもあらわれる。
年が分かってしまうが、昭和25年の25、1月25日の25、そして母子手帳にしっかり記入されていた0時25分の文字。昭和の中でもっとも25が強調されるのは、当然、昭和25年。1月から12月の中で、もっとも25を際立たせるのは、やはり1月だろう。そして、0時台から23時台までの間で、もっとも25を際立たせるのは、0時25分だと思うので、考えうる最高に25が強化された誕生日に私は生まれたことになる。だからなんだといわれたら何もないが、偶然の面白さだ。はじめて知った異性の出席番号が25番だったのは、あまり関係ないと思うけど、25という数字に関しては色々と考えた結果、5×5であり、それは裏表で50、陰陽も加味すると100の数字の構成要素。しかし100点とはまったく縁のない人生を送ってきている。陰陽といえば、易経では2と5は相対関係にある。これは男女関係を表す数字関係なのだ。私が人生につまづいたのも男女関係、すなわち失恋だったし、そのお陰で心の悩みが心の理解を生むことになり、そして現在の仕事に結びついてきた。そう考えると、自分を自分らしくつくったのは恋愛であり、その後も男女関係からしか私は多くのものを学んでいない気がする。戦争もない、命の危険もない、そんな時代に人は男女関係以外から何を学べるだろう、、、という考えが私にはある。永遠の女性的なるもの、、、というのはゲーテの憧れだったのだろうが、ゲーテに限らず、全男性に言えることではないだろうか。性を超えてマドモアゼル・愛と名乗るのも、そこに2と5の関係があらわれている。このテーマはおそらく一生離れないと思う。前置きが長くなったが、そう、冥王星がやぎ座にやってくる。経済崩壊、地球環境崩壊、鳥インフルエンザと、人類の危機が冥王星やぎ座時代に起きてくると思うが、それは悲劇のみでなく、危機に応じて花開いてくる人類の本当の叡智、個人の生き様の多様性、今、ここにいるという奇跡の喜び、など、私たちの人生を強く意味づけてくれるものとなろう。大変な時代に生きたからと言って私たちが不幸なわけではない。その中から見えてくる真実と深い喜びがかえって大きなものになる。これまでの時代の個の存在のあまりの軽さ、、、それは急転して大きなものになる。有名だろうが、お金があろうが、そんなことでまったく左右されない自分の個の重さ、手ごたえがきっと出てくる。きっと、室町時代などの戦国時代も、大変だったのだろうが、自分が今ここで生きている、、、という重さは一様に感じられていたのではないだろうか。25日は金曜日だから、競馬はないが、土日の二日間、私の年齢にあたる5-8の馬連を全レース買いますので、もし来たら皆様からのプレゼントだと思います。と、勝手に考えて実行。来なくても文句は言いませんのでご安心ください。36歳の時の3-6、47歳の4-7、49歳の4-9は確か万馬券を取って儲けた記憶あり。今年も万馬券期待。万馬券をしこたま取ったら、逆にこのhpで皆さまに何かプレゼントしますね。