大寒 太陽はみずがめ座へ

朝起きたら一面の銀世界だった。しかし50メートルほど下ったところに雪はほとんど積もっていなかった。わずかの標高差でこんなにも違うものかと驚いた。人の運勢もそれに似ている。ついてない人と、ラッキーな人の差は、本当にわずかな差である。わずかな差が実は大きい。大差の場合はそれはあからさまなので不確定要素が入らずに、規定路線の未来につながりやすい。しかしわずかの差だと、未来の規定路線が分からずに、人の判断に任せられる。そこに大きな違いが出てくるのだ。私はこのことを、マージャンで学んだ。マージャンは最近はやらないが、昔は出版社といえば、マージャン好きな人が多い世界だった。皆がマージャンを打っているのを後ろから見学していて気付いたのが、運の分かれ目は本当に小差だということだった。一番負ける人がその日一番ついてないかというと違うのだ。二番目についていた人が一番負ける。それも一番ついている人と僅差であるときに大きく負ける。紙一重の差。それが分かれ目になる。ついてなければ、良い手が来ない。だから無理もしない。二番についていれば、望みがある手が舞い込む。そして無理をして負ける。50メートルの標高さが雪を降らせもし、降らせなくもする。これが500メートルも差があれば、誰だって500メートル上は雪だと思う。500メートル上に登る人は当然雪の対策をして出かけるだろう。しかし50メートルの違いによる天候の激変には人は準備が行き届かなくなる可能性が高い。そして予想外のことが起きて来る。運とはそのようにして決まっていく。小差が運を左右する。紙一重の差が大きな運の違いに結びつくなら、では、人よりもほんの少しの違いが幸運につながることになるのではないだろうか。運の性質が理解できれば、開運法も分かってくる。よし、人よりも5時間多く勉強しよう、、、、と思ったA君の意気込みは立派だが、おそらくそれは失敗する。それよりも朝、15分だけ必ず単語を覚える時間を持とう、、と思ったB君の方がきっと勝つのではないか。5時間の意気込みは人と大差をつけるという指向性であり、すでに負けている。わずかの差での努力に目を向けたB君のやり方は現実に即している。小差が大差につながる真実に即している。さらに言えば、小差も小差の開運とは、それは心構えではないだろうか。人の一生を左右するものは、常々の心構えの違いなのだ。不幸に会ったときにバカやろうと言って逃げることも出来る。もう挑戦なんかしないと逃げるのも自由だ。しかしそんな際にでもほんの少し、何が間違っていたのだろう、、、、と不運とは別に心が動くものがあったとしたら、その失敗の数倍の規模での成功が待っている道が始まるのではないだろうか。競馬では着順が確定されたらそれは絶対に変えられない。しかし運勢の道では、どんな失敗の前でも不運を呪う以外の心構えが見えたら、成功への一歩が始まる。心構えを変えるのには一円のお金もかからない。誰にも迷惑もかけない。大寒を過ぎれば大寒はない。冬来たりなば、、、である。自分はどこまで開運できるかを一円もかからない心構えで実験する価値はおおいにあると思う。