ペコちゃん、ポコちゃん

不二家の事件が表面化したけど、合法的に問題がなくても、実は食の問題はあまりに大きすぎる。私は自分で畑を作っているが、もちろん素人で農業の経験も勉強もしたこともない。冬野菜は9月の下旬に種を植えて、以降たまに間引きをしたぐらいで、あとはほったらかし。何もしない。それでいても素晴らしい大根や株や小松菜が出来る。食べてみると本当においしい。どこの高級野菜よりもまちがいなくおいしい。スーパーで買う野菜とはまったく味が違う。なぜ、どうして、、と思う。だって私なんかよりもずっと上手なプロがつくっているのに、なんで何もせずにほったらかした状態の私の野菜のほうがおいしいとは、、、自分でも理解できなかった。取立てだからだろう、、と思って実験をしたが、多少ふるくなってもやはり手作りの作物のほうが断然おいしい。今もって理由はわからないが、この国の食べ物の事情が何かとんでもないことになっているという気がする。野菜でさえそうなのだから、まして完成品としての食品はどうなっているのだろうか。食品業界は利益主義である。それはそうだろうが、素朴に考えてみて、単にお金だけを儲けようとして、消費者に対する、愛情も、健康になってもらいたいとの願いもなく、ただ利益を目指して作られていく食品にはどんなことがおきているのだろうか。たとえ法的に何の問題がなくても、愛情がない食品を作ることは私は犯罪だと思う。現在ではわからないが、つい前までのコンビニのおにぎりは二週間も腐らない、、、という話を聞いたことがある。ファストフードの研究の最大の課題は、いかに習慣化させて食べさせることができるか、ということに莫大な研究費を費やすらしい。要するに、人をだますためにだ。命をつなぐもっとも重要なことにペテンがまかり通るとは、どういうことなのだろうか。彼らは政治的にもマスコミ的にも力を持ち、人間に悪いものでもそうでないようにする印象付けはできる。今回の不二家の事件も悲しい事件だが、まだ分かりやすい恐さだ。ほんとに恐いのは、法的になんら問題がない形で行われている人間に対する裏切り行為だ。わたしはやはり神は見ていると思う。そういう時代はやはりいつか終わると思う。見た目だけは見事な野菜、中身は何もない。なぜそんなところに人を追いやったのか。現代とは何なのか。お金の神に現代人は狂わされている。私もお金儲けは実は大好きだ。しかしもう人をだましてお金儲けする時代であるわけがないと思う。人を幸せにして儲けるほうがずっと儲かるのではないだろうか。とくに食品だけはずるいお金儲けにつながるシステムを作ってはいけない。もっとも重大な犯罪ではないか。金儲けのために戦争も起こす現代なのだから、そんなことは朝飯前なのだろうが、食品の罪がもっとも思いことがいつか分かるだろう。食べることは命をつなぎ、命そのものに直結することだ。なぜ伊勢神宮では外宮から先にお参りする慣わしなのかは、伊勢の神様に食をお届けする神だからだろう。命をつなぐものをないがしろにしたら、命の流れは途絶える。これを邪魔するものが最大の罪なのだ。食を金儲けだけで考え、悪知恵を働かせている企業は私は必ず報いを受けると思う。そうしなければ人間の命の連鎖が途切れるので、どこかで終止符を打つように大きな力が働きかけることになるだろうから。私がこういうと愛先生は甘い、、というような意見もあるだろうが、青白き理想を言っているのではない。悪知恵でも大きな原理を変えることはできない。昭和30年代から急速に食のインチキが始まった。それから約50年がたっている。60年続けると人類の土台すら壊してしまう犯罪的なものだから、きっと変わる。どう変わるかはわからないが、強制的に何かが起こって変わることになる。食料危機がそのきっかけになるのか、病気の蔓延か、または、極めて良心的な情報開示と姿勢に愛がある企業しか儲からない時代が急速に来るためかもしれない。本当にそうなってくれなくては困る。関係ないが、数日前から始めている、豆腐ご飯ダイエットだが、調子がいい。体が軽くなる。体重もわずか数日で1キロは確実に痩せた。しかも好きなだけ食べていておなかもすかない。お豆腐半町にたくさんのねぎ、しょうがをおろして入れる。しらすをたくさんのせて、おかかなども時々ふりかけ、しょうゆをたらして簡単に砕く。ご飯をその上に乗せて、食べるのだ。あとはかぼちゃや刃物野菜を付け足せば、かなりの完全食になる。好き嫌いもあるだろうが、とにかくおいしいから続く。不思議と一杯でおなかが一杯になる。ただいつまで続くか、はわからない。今のところ本気で気にいっていて、なんだか物凄く痩せられる気がするけど、まあ、どうなることやら。何であれ、体調は軽くなってます。ご飯を玄米にするとさらに理想だね。しかししょうがを毎日多く食べるのは、なんだかいい気がするよ。とくに冬のせいかもしれませんね。そしてローズを飲み、寝ると、本気で肌がよくなる。しかし今の時代は、食がウソで牛耳られているので、神は怒っていると思う。いただきます、、、という言葉は、実は大切なマントラだと思う。いただく、とは、神からいただく、という意味合いがあると思うが、それにより、どんな毒の食べ物も、神からの頂き物になり、解毒される働きがあるはずだ。このとうとう食に巧妙にインチキが施されてしまった時代を生き抜くマントラが実は、いただきます、と心から唱えてから食べることだと思う。それにより、たとえ毒物でも神から与えられた食べ物となり、私たちは救われる。そういう目に見えない現象がきっと起きているはずだ。私も明日の朝食からもう少し気を入れて、いただきます、というようにしよう。