ごめんね、林さん

きょうは大きなちょんぼをしました。某大統領令夫人の御前での披講演奏は大好評だったが、実は大変なミスをわたしは犯していた。披講というのは、和歌を歌うことだというのはいつも語っているが、和歌を歌う前に、まず和歌を読み上げる。講師という役がそれを行うのだが、読み上げる前に、どういう目的でどういう和歌を詠むのかを、伝えるはしづくり、というものがある。今回、林氏のその読み上げがあまりに素晴らしかったので、私はつい和歌の読み上げが終わったような気分になってしまい、自然と披講に入ってしまった。和歌のよみあげをすっとばして、歌に入ってしまったのだ。まさに前代見聞の出来事である。林さん、ごめんなさい。さぞ驚いたことでしょう。私は気持ちよく歌って、終えて席に帰ってもまだそのことを気付かなかった。おそろしいことである。講師の林さんにいわれて、初めて自分の物凄すぎるミスに気付く大失態であった。しかも林氏がさびしそうに、でも誰一人気付いてないでしょうね、、、、と慰めてくれたのが、申し訳ない気持ちを掻き立てる。やっぱりまだまだだと思った。しかし何なんだ、このすっぽり思考が停止し、信じられないようなことが披講によく起こるのは。師匠の青柳先生は色々な場所で、緊張の場面を何回も体験しているので、現場での実践こそが最大の勉強といわれる。まさにそうだとおもった。披講現場には魔がいる、、、色々な霊が聞きにくるためもあるだろう。素晴らしい披講には、必ず偶然性がある。失敗するのもその偶然性によるのだが、どちらも偶然に見えて実は偶然ではないのかもしれない。では何が必然か、、、となると、それはもう霊的な世界に足を踏み込まないと見えてこない。あちらの力とこちらの力の合作によってしかうまれない藝術。それが披講だ。恐い世界に足を踏み入れてしまったとつくづく思うよ。襟を正してしかも固くならないリアルな感覚、日本文化の奥深さがそこにある。しかし今日の私のすっぽ抜け程大きな失敗はそうはないと思う。大きすぎて誰も気付かなかったのが、せめてもの救いだったが、林さん、驚いただろうな、、、。