ハロウィン起源
ハロウィンの起源はイギリスのケルト人にあった。日本のお盆のような日で、死者の魂がやってくる日なのだ。しかしやってくるのは、この世を守ってくれているご先祖様だけでない点に注意をしたのがケルト人だった。死者の魂と一緒にやってくる悪い霊を避けるための祭りがハロウィンだったらしい。人々は火をたき、お面をかぶり、奇天烈な格好をして悪い霊を追い払った。なまはげにも似た発想だね。ケルト人は悪い霊は海からやってくると考えたのだろうか。島国では、悪いものはすべて海からやってくることになる。島では秩序ある生活が営まれている以上、それを壊すものが海からやってくるのは当然だった。沖縄もそうだった。島には完結した世界と秩序があるのが普通。地球もひとつの島と考えることができれば争いもなくなるかもしれないね。日本では悪異霊から身を守るのは何かというと、色々あるが、色では紫色だ。紫は完全な防衛色で、紫をまとわれると、その相手の中身が見えなくなる。霊的にだが。だから弱点を悟られずに、霊的ないたずらをされることが防げるのだ。ハロウィンにはだから本当は紫がいいと思う。こういう色を独り占めした勢力が宗教だった。法衣は紫が多いが、特権階級にしかつかわせない、、、ということでもあった。勾玉もそうだったろう。石は妖精との交信する道具だし、マリファナも大麻法で厳しく取りしまわれるが、神官の行事では結構使った。アメリカインディアンにも大麻を使う儀式がある。大麻といえば、清田元少年が逮捕された。昔よくでていた超能力者で、スプーン曲げの名人だった人。話がそれたが、神秘の力を独り占めする歴史が裏の歴史でもある。魔女狩りというが、あれは近代科学軍団が自然界の秘密を持っている森の神秘勢力に対し、その高度の知識を奪い取る争いだと思うとわかりやすくなる面がある。超自然力は魔女狩りによって、一部の勢力に独占的に奪われたのだろう。そして近代という迷信の時代を築きあげた。昔が迷信の時代なのではなくて、近代合理主義、経済一辺倒、科学一辺倒、、そうした社会が実は迷信の社会であり、信仰の時代なのだ。だから現代人は未開人でもある。おそらく縄文の知識、ヨーロッパの森の人々の知識、ケルトもそのひとつだったのだろうが、もっと昔で言えば、カルデア人かも知れぬが、この世の原則としての神秘性を当然のように理解していたし、のっとっていて生活していたはず。月齢のカレンダーならば、15日は満月、とすぐにわかり、天が何に味方し、何に反発するかがすぐにわかる。太陽暦はもちろん意味あるが、見えるもの中心、人中心、、、何をやるにもしんどいカレンダーなのだ。こうしたものを作った人は、私は本当はこの世の仕組みを知っていてそうしたものを作ったのだと思う。もちろん、深い知識と力を独り占めするためにだ。サルの惑星も似たようなストーリーだったと思うけど、人に迷信の生活をさせ、一握りの勢力のみに知識を開示する。紫を独り占めするような形が近代の建設だった。私たちは迷信の時代を実は生きているのだ。本当に凄い誤解。私たちが野蛮人なのだ。ほんとうに野蛮なことしてるでしょ、実際。こうした問題の最終駅は、素朴な生命力を失っていき、作為的なレールの上での人生に他ならず、生きる手ごたえを失っていくことにある。祭りの復活、この世は神秘のルールで動いている部分のほうが実は大きいこと、、などを回復していく以外にない。私が今やっている、妖精生活の提唱はまさにそのことなのだ。私たちは動物であるが、極めて霊的な存在なのだ。苦労しなくても本当は色々なものが手に入るようになっているのが、本当の姿なのだ。苦しむ必要はないのが人間の本当の姿。ただ中には人の苦しみを食べる神様もいるので、色々なこともあるのだと思うが、わすれてならないのが、歌の神様の存在。ハロウィンでも本気で霊的防衛をするのなら、歌がなくてはならないはずだ。その部分はどうやって伝わっているのだろうか。ヨーロッパでは歌の部分のそうした面のつながりが切断去れていると思う。そうでなければ、あの建築学のようなクラシックの構造は生まれようがなかったろう。近代はクラッシック構造と深い関係があるのだ。しかしチョイ前のバッハに戻ると、そこにはヨーロッパ的なものとアジア的なものとの境界が鮮明ではなくなる。無伴奏のバイオリンの曲などではとくにそうではないか。平均律は誤解されていると思うが、私はバッハにはヨーロッパを感じない。昔は何かがどこでも共通していたのだろう。それはこの世は実は神秘であるということではないか。私たちは霊的な力を持つ人間なのだ。呼び覚ますのは意識と歌だ。今夜はハロウィンなのでおかしな話になってしまったが、さっきコンサートに行ってきた。大変素晴らしかったが、私は音楽の形において、霊的構造を持つものと、それを忘れた人間が作り上げる構造には、違いがあることを実感した。そしてあらためて披講にはそうした霊的構造があることが分かった。歌の神様が和歌に宿っていることは間違いない。もちろん世界の色々な歌の中に神様はいるが、私が知る範囲の中での神秘の話であるが。歌の神様に頼ることで、近代野蛮思考に陥った魂の復活がなされることをハロウィンの日に実感した。歌を忘れた人生はよくないのだ。と、かなり一方的な意見でした。