勘違いしない生き方
生きていくなかで人は色々な勘違いをする。最大の勘違いは、自分のために生きるのでなく、人のために生きてしまうことだろう。言動の理由、選択の理由、決断の理由が自分のためでなく、周囲の期待や人の意見であったりしてしまう。自分が生きているのでなく、自分が何かに使われてしまう。ノーが言えない、ということもあるが、その前に本気で自分のために生きようと思っていない。人はわがままに生きたほうがいいと思う。とくにイヤなことをやる必要はまったくない。ほどこすこと、ゆずること、与えることが、本人の喜びになる場合はもちろんいいが、そうでないのならやめたほうがいい。なぜ、自分の人生を人にゆずってしまうのかは、自分に不満足感があるためである。その結果、自分に期待しなくなる。凄い才能のある人と比較して、自分なんかは大したことがないと思ったりして、段々と自分に期待しなくなることが多い。人は自分に期待しなくなると何かに寄生するしたくなる。不安だからである。自分を信じること。自分に期待することが、今ほど大切な時代はないと思う。なぜなら、もう凄いものが周囲にはないのだから。国も危ない、企業も危ない、周囲も冷たい、、、自分に期待するのが一番合理的なのだ。期待したらきっとそうなる。この子は伸びる、、、とそう思って子を育てれば、きっと伸びていく。この子はダメだ、と思って育てたらきっとダメになるのだから、その反対も真理だろう。まして、自分に期待しなければすぐに人はダメになる。自分の何に期待すればいいのかは、好きな生き方を考えると答えが出てくると思う。好きなこととは、努力が楽しいことが好きなことだ。嫌いなことで努力する必要はあまりない。ある程度はあるかもしれないが、基本は好きなことで努力するのがいいと思う。そして自分に期待しよう。私は人間復活というとオーバーだが、自分復活の機運が社会に必要だと思う。みんなが好きな生き方をすると、みんなが幸せになる。好きなことして生きられたら、こんな簡単なことはない、と批判好きな人はいうだろうが、嫌いな仕事で本当に発展するだろうか、嫌いなことで、本当に儲けられるだろうか、、、嫌いなことで自分をほこりに思えるだろうか、、、嫌いなこととは何も具体的なことばかりではない。人や周囲に対して、本当に自分の考え、感情、気持ちで対応できているかどうかと言うことだ。好きな競馬をしてても人にばかり気をつかっていたら競馬場にいってても面白くはないと思う。これと同じで、人にどう対応しているかが大切なことになる。自分を失わずに対応しなくてはすべてが嫌いな人間になる。自分を失った対応をすると、人が嫌いになる、仕事が嫌いになる、環境が嫌いになる、そして自分が嫌いになる。良い思いをしなければ人は自分も人も好きになどなれないのである。機嫌がよくなる生き方をするのがだからもっとも叡智に富んでいる。自分に期待できる人は大体は機嫌よくいられる。人にゆずらなければ生きられないと信じている人は、常に機嫌が悪い。なのに人前では機嫌よく見せるだろうから、ダブルで苦しい。もっと自分に期待していいと思う。期待通りにいくものだからである。期待してないと、期待しなかった現実を呼び寄せる。自分に期待しなければ、周囲に期待し、そして不満な人間になっていく。自分に期待すれば、期待通りとなり、自分と周囲に幸運をもたらす人間になっていく。これは一番安い投資なのにリターンは最大。やはり神はまちがいなく人を愛していると思う。写真は月に寄り添う木星の合。3日ほど前にとったもの。木星と月の合は期待を育むお守り写真でもあるよ。