新潟記念
きょうは朝からずっと仕事をしていて一息ついたのが午後10時だった。昼間はいそがしくしていたけど、忙しいとストレスから競馬がしたくなる。メインレースの新潟記念を予想して、ヤマニンアラバスタという馬を買った。自信はあったが一抹の不安があり、やっぱりそういうときはダメなもの。しかし夏競馬もそろそろおしまいだ。私が競馬で一番悔しかったのは、いろいろあるけど、だいたい競馬は悔しい思い出というのが相場。夏競馬が終わってやっと府中に戻ってきて、まだ20歳だった私はさっそく競馬場に出かけた。メインレースで自信があり、私は5-7という枠連の馬券を17枚買ったのだ。他にも7枠からいくつか買う、20の私にとっては大勝負だった。一枚づつ窓口のおばさんが手打ちで打って馬券を印刷してくれた時代だった。馬券をしっかり握り締めて私はレースを観戦。見事5-7と来て、配当が50倍ぐらいついたのだ。当時馬券は一枚200円だった。一枚が一万円になったわけで、私はそれを17枚買っていたことになる。興奮しながら手に持っている馬券を数える私。しかし、何枚目になっても5-7が出てこない。かわりに6-7が19枚も出てくる。いやだ、6-7なんかたった2枚しか買ってないのに、、。おばさんが聞き間違えたか、打ち間違えたのだ。おそらく打ち間違え。私はけっして、19枚もそういう馬券を買ってないのだから。5-717枚、という時におあばさんは6-7を押していたのだろう。そして6-7二枚、をさらに追加して、19枚になったに決まっている。当時、初任給が6万円の時代。17万円の価値は給与3ヶ月分。悔しかった。なんでその時に限って買った馬券を確かめなかったのだろう。しかし、それは競馬の不運ではなくて、青春のつらさとして私の記憶に残っているのだ。幸福な青年が給与3ヶ月分にもなる馬券を勝負するだろうか。私は青春のつらさの中にあったのだ。はずれた6-7、19枚の馬券は孤独と青春の苦悩のチケットだった。不幸な青年のいいところは決して守りに入らない。守るものがないのだから当然か。私が青年時代に得た唯一の宝物がいざというときの潔さである。得して生きようと考えてきた人には決して潔さは育たない。しかしこれも冥王星が与えてくれた性格にすぎず、自分で培ったものではないのかもしれない。結局すべての人が本当は精一杯に生きているのだ。真剣になるのも、楽しようとおもうのも、ずるく生きるのも、潔く生きるのも、本当はすべてが精一杯の人の姿なのかもしれない。早実の斉藤が精一杯だったのはわかるが、スタンドで見つめている人もおそらく精一杯だった。そこに違いはない。みなひとつの物語を精一杯演じて生きている。夏が終わりに近づくとなぜかそう思うことが多い。ヤマニンアラバスタが来なかったからか。もっと精一杯走ってほしかった、ほんとに。