みなづきの禊ぎ
きょうで一年の半分が終える。みなづきの禊ぎの日でもある。私はいつも自分で勝手に祝詞を上げる。おお払えの祝詞である。祝詞は祈りだから、思いがやはり大切。思いがあってそれが意が乗る、で祈りである。意が乗らなくては言葉はむなしい。言葉は単なる記号とは違う。そのことを、昨日の歌会でも実感した。きのうは外国人の前での披講だったが、終わってからの感想は有り難かった。言えない、言えない、、何と言っていいか、言葉が見つからない、初めてだ、素晴らしかったと、興奮気味に語ってくれる海外の人にあって、意の乗る言葉は言葉の壁を越えることを実感した。これだから披講はやめられない。先日の妖精茶会では、私が百人一首の中から何かを歌う、という段で、参加者の一人が、崇徳天皇のお歌、と言う。よりによって、なぜ崇徳天皇の歌なのかがわからず、驚いた私。歴史に詳しい人ならすぐにわかるかもしれないけど、崇徳天皇は誤解され身の潔白を晴らすことができずに無念のご生涯を閉じられた天皇である。その後、日本は公家が支配する世界から武家の世界が長く続くことになる。これは崇徳天皇の予言に一致。そのため明治帝は王政復古の際に、なによりも手厚く崇徳院の御霊鎮めを行ったと言う。みやびな百人一首のなかではどちらかというと他とは異なる趣がある。その歌が指名されたので驚いたのである。しかし驚いたのは私だけではなかった。私の隣にいた方が、崇徳天皇ゆかりの地で生まれ育った人がいて、やはり、崇徳天皇の名がでたことに驚くと同時に、まさかそのお歌が披講されるなど、夢にも思わなかったことが起こったからである。その方は、サイキックな能力がおありのようで、私が歌った後に、これからも機会があるときにぜひ崇徳天皇の歌をおうたいください。それを崇徳天皇は求めております。と言う。なんだか妖精茶会らしいといえばそうだが、あまりに古典の大きな妖精の存在と触れられた、茶会でもあった。それからみなも気が乗って、色々な歌を歌ってくれて、会も盛り上がってきた。多くの霊がきっとそこにいてくれたのだと思う。天皇の霊の気配は披講では確かに出てくる。以前話したとおもうけど、一条天皇ゆかりの歌会でも同じことがあった。そのときにはかつてない激しい雷雨を体験した。激しい雷雨は歌会が始まる直前から始まり、歌会終了とともに雷雨も終わった。天皇家は歌の家であり、歌によって国や人の御霊を震わせ、活気をはかり、すべてのものを発展させるちからを持つ。今は御霊となられたかつてのすめらみことは、再び披講がお聞きになりたいのだと僭越ながら感じた。歌の神がいるのだ。私は最後の最後には、歌の神様がお出ましにならない限り、この世は治まらないと思っている。お金で、力で、ICBMで世を治められると思うのは幻想である。声の言葉である歌が次の時代の幕開けを行うと思う。歌、笑い、踊り、この三つがなくて人間が生きていけると思うのは、これまた幻想である。