春雨

5月の降水量は6月よりも多いときがあるとか。さつき晴れの言葉で勘違いしやすいけど、連休の後は大体は雨が多いもの。20歳そこそこの頃、付き合い始めた恋人の家に夜のドライブへ行こうと迎えに行き、出てくるまで待っている間、いつも雨だった記憶が5月になると思い出す。そのせいだろうか、5月の雨は好きだが切ない気分をもたらす。しかし緑は日に日に美しい。とくに雨の中の緑は本当に素晴らしい。香りがする。今年は花が非常に遅く、私のところの芍薬はまだ小さなつぼみ。昨年も一昨年も、もう散ってしまっている頃だというのに。東北は山瀬だろうか。冷害の心配もあるだろう。いずれ日本には食糧危機が訪れることになると思う。ショック療法でそれが良いほうに出ると良いのだが。確か1995年か94年か忘れたが、冷害が日本を襲った。米が不作で大騒ぎになり、タイ米などの緊急輸入をタイ政府に強引に頼み込み、かなり無理をしてもらって予約をしたものだ。そのタイ米はあとで味がどうとかで余ってしまい、結局大量の米が家畜用になったとかいう。こういう非礼が現代日本の官僚的な体質からちょくちょく出てくる。結構大きな問題だと思うのだが。国と国との付き合いも、結局は人間関係である。星のローズ水、結構色々な方が気に入って多方面に紹介してくださっている。有り難いことだ。宣伝をしてくださる方には試供品をお送りしますので、ご連絡くださればお送りいたします。私ももちろん毎晩使っている。バラの香りには特別な豊かさがある。女性のものが、私は今の時代には少ないと思う。どんな女性向け商品も、サービスも、女性誌も、本当のところで女性に向けられたものとは違うような気がする。とくにちまたで扱われる性などはひどいもので、ちまたにあふれたセックスや性から、女性の気持ちはまったくと言っていいほど伝わってこない。雑誌を見ても、ビデオを見ても、そこには女性からの性はなく、どこかにかならずオヤジのような男が噛んでいて、女性的なるものを遠ざけている。女性の社会進出は凄いけど、それは女性が男性化することで適応していかなくてはならない不思議な構造をしているように私には思える。女性サイドから見たものがあまりに少なすぎるこの世の中は、薄気味わるい。男のイメージによってつくられた女性的なるものしかないこの文化は、男性にとっても悲劇である。男性が育たないのだ。考えて見れば、本当に素敵な男性が少ない国となったような気がする。男性的な人がこれほどいない国も珍しいのではないだろうか。男性も成熟することができずにいるのだ。女性性の解放、とかいう思想的なことより、女性的なものをふやすことが大切。女性からみてくつろげる、良いと思える、喜びとなる、、、、表面的には女性文化隆盛ではあるが、それは男性原理の中で支配されている形で存在しているという限界がある。森村あこ先生は、自分は女性のサイドにたって、絶対に仕事をしていく、、、、と言う。そう、女性がいまある構造、権威、枠組みに負けず、一言で言えば似非男性的なものを通さずに、自分らしく仕事していくことが本当に大切になっていると思う。ローズの香りは本当に女性にしかわからない深い香りだと思う。