連休近し
連休はいいけど、その前後は仕事がきつくてつらいとき。お正月にも感じるけど、その前後の忙しさを考えると普通の日がずっと続くほうがいいといつも思ってしまう。子供の頃、毎週楽しみにしている番組が、連休や夏休みなどを配慮して、何か特別企画で手のこんだものになると、決まっていつも通りのほうがよかった、、、と私は感じていた。意外に保守的だったりして。水星が山羊座で土星とアスペクトをもっているから、保守的な面は確かにある。なんでも最悪の事態を想定して考えるところがある。うわついた楽観論が生理的に嫌いでもある。よいことを考えればよいことが起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こる、、という運勢の法則はポジティブシンキングですでに一般の市民権を得ているが、確かにそれはそうだろうが、ちょっと待てよ、と私は思う。人間、本当によいことだけを考えていられるだろうか、、、無理してそう考えると、かえって潜在していくものはかえって恐いものではないだろうか、、。これはそうなのだ。無力なポジティブシンキングで不幸を招いているひとが実はかなりいる。弱弱しくポジティブに考えると、その反対のものが意思下に入る。恋人が去る不安を抱えた人が、明るく、明るく、彼はずっといる、私は愛されている、、、とポジティブに思うことと、人間は弱いものだから、どんなに強く愛し合ったもの同士にも、どんなきっかけで別れがこないとも限らない、私とあの人もいずれは別れることがあるのかもしれない、しかしそれでもなを、私はあの人を愛している、、ずっと別れたくないとおもっている、、、というのと、どちらが心が落ち着くか、という問題である。私は無理して、別れない、二人は別れない、、、的に考えることが気持ち悪い。それよりも後者の考え方が好き。なんでも人情の自然として受け入れて、その反面、自分の感情の真実は逃さない、、、強い生き方は後者の考え方ではないだろうかと思う。本来、ポジティブシンキングとはそういうものだと思うが、なんだか色々なものを見ると、悪いことは考えない、いいことしか考えない、、という信仰のような印象を受けるものが多い。それは間違いなく逆効果である。よいことを考える動機が、不安からきているので、不安を現実化してしまう。心の問題を理解するには反転した真実の感覚が必要なのだ。それは何かを恐れている人にはできない。だから私は最悪の事態をまず受け入れることが大切だと思う。最悪の事態を受け入れることを通してしか、人は楽観的にはなれないからである。死する運命を持つ人間が、私は死なない、、、と考えることはポジティブではない。死の不安を隠すことであり、本人はポジティブに考えているつもりで、真の動機、すなわち死をうけいれなくなり、そのことで真の生を実現できなくなる。くれぐれもだまされないことである。