国立劇場
きょうは国立劇場で行われた和歌の披講に行った。毎年春に行う年中行事だったのに今年で終わりとか。万葉集が今回の内容で万葉の歌会形式で披講。しかし万葉集というのは凄いものです。いつ頃作られたかすらわからないけど、ああいうものを日本人が残したのは、和歌が本当に大切だったということだろう。敷島は和歌の国なり、、という言葉は本当なのだ。物には数霊、言霊、色霊がある。物は物だろう、というのが常識かもしれないが、物には霊がつく。霊物質一体の姿が自然。数霊はこの世の構成原理、言霊は稼動原理、色霊は境界原理、とも言えると思う。和歌は言霊の最高表現であり呪術力を持つ形式。ヒットする歌にはだいたい、時代を問わず5-7のいなの言葉並びで、伊那、稲、いなり、というように、5-7の言語の並びは物事を達成させる力があるらしい。ラブレター、ラブメールは5-7の言葉でいくことだ。言葉は声に出したときに周囲と共振を始める。それによって人も物も霊も感化されて一体となる。これが和歌披講の力であり、万物のなりたちに影響を与える。調整を可能にする。ちょっとでも敏感な人はすぐにわかるのだが、披講をするとすぐに場の空気が清まる。これは偶然ではなく、本当に凄いものである。ヨガの大家の私の知人が、体の不調はほとんどヨガで治せるといい、確かに数十年そうしてきた。しかしよほどのことがあったのだろう、ついにヨガで治らない疲れに直面。そこで私から多少習っていた披講をしたところ、何をしても治らなかった不調がすっきりと取れて驚き、私に連絡してきたことがある。もちろん、ヨガより効くとかいうのではなくて、不調の原因がおそらく微細な波動の調整でないとダメだったものか、または、一種の憑依的な現象によって、清めたり、流す必要があるものだったから効いたのだと思う。披講で腰痛が治ったり歯痛が治る理由はないと思うからだ。しかし一種の除霊的効果と場を清める力は披講には間違いなくある。声の言葉の力と、正しい形式のよる5-7の構造、そして旋律の力によるものなのだ。この和歌の披講がなくなるのは大変残念。違った形でもいいから、なんとか継続したいと思っている。というわけで競馬も忘れた日曜だった。しかし連休前だから仕事が大変で、まだまだ眠れない。月曜の朝一の締め切りが多いんです。まずい、田野さんの締め切りを忘れていた。