経済状況

兼ねてから読んでいたとおり、インフレの気配が急に忍び寄っている。しかし日本は知ってか知らずかはわからないが、日銀は緩和政策を続けるとしきりにインフォメーション。このギャップはきっとあとで問題になる。先週の株価急落は日銀の発表後である。緩和政策、ゼロ金利といっても、もうこのご時勢で説得力はない。都合でものを言うから、日本の市場は嫌われる。ライブドアが決算偽造ならなぜNECは許されるのかの線引きもまったくあいまい。急騰している株を見つけては規制をかける。いったい、誰の相場なのかと、思ってしまう。しかし勝手な規制で株価を動かせるのだから、新たな政治資金集めではないのかとすら疑ってしまいたくなる。まさかそんなことがあろうはずはないが、とにかくおかしなことをやっている。相場にお上が口をはさむのは私は間違っていると思う。勝手にやらせておけば自然の値段になんでも落ち着く。綱渡りをしているから、ちょっとでもインフレの兆候を感じ取ると、早めに芽をつみたくなるのだろう。それは間違っていないが、とにかくあがる株を目の敵にしているような政策は、官僚の劣等感からきているようにすら感じられる。もちろん立派な人もいるけれど。自由な目で経済を見ている人にとっては、日本のやり方は奇妙に映る。日本にもインフレが近づいていると思う。商品相場はけっこう大変なことになっている。市場最高値のオンパレード。そうすると政府は投資者保護のため、と言って証拠金を突然上げたりする。それって完全なインサイダーだと思うけど。違うのかしら。わかっている人はいるのだから。だからここまできたらこうする、ここまでは何もしない、というよう誰にでも共通するルールが必要なのに、何千億も動く市場のルールが一部の人のさじ加減ひとつに握られている。おかしなことである。一般の人にはなんのことかあまりわからないかもしれないが、こうしているといつか突然、私たちは自分の財産をまもれなくなっているかもしれない。そういう危険を感じてつい話してしまう。政府の発注する仕事の7割以上が一部の特定の業者に行っているということがわかった。なぜ国民が怒らないのか、よくわからないが、この国はファミリー企業のために存在しているのと同じではないか。数十年どこかで感じてきた窮屈感やなんで、、、という気持ちの源泉が、まさにここにあったような気がする。本当の愛国者はどこにいってしまったのだろう。私はいま、一条天皇のことがどうしても気になって勉強しているが、まあ、勉強と呼べるほどのものではないけど。天皇といえども、藤原にいいように扱われ、心を痛め、苦しみ、大変な経験をしてきているのだと思う。この国の問題点の本質がそういうところにあるような気がしてならない。とにかく時代の常識にだまされないように。いま、私たちが必死の思い出貯めているお金、働いて得ているお金の価値はみるみる減価をはじめている。オイルの値段が上がっているのではなく、お金の価値が落ちているのだと思うこと。株が上がっているのではなくて、お金の価値が下がっている。目覚めた自分の頭でものを考えることがとても大切になってきています。